イラン政府にとって最大の脅威はイスラエルではない!? 政府が本当に恐れているのは国民の反抗
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イランは、国際社会においてイスラエルやアメリカとの対立が注目されがちだが、国内の視点から見ると、政府にとって最大の脅威は外部の敵ではなく、むしろ自国の国民である。
イランは多民族国家であり、クルド人やバルーチ人など少数民族の分離独立運動や、若者を中心とした圧政への不満が、政権の安定を揺さぶる要因となっている。歴史的に、国民の反発はガソリン価格の高騰やヒジャブ着用を巡る事件など、さまざまな契機で表面化し、時には全国規模の反政府デモに発展してきた。
■多民族国家イランの複雑な内情 イランはペルシア人を多数派とするが、アゼルバイジャン人、クルド人、バルーチ人、アラブ人など多様な民族で構成される多民族国家である。
これらの少数民族は、しばしば中央政府のペルシア中心主義や経済的・文化的抑圧に不満を抱いてきた。
特に、クルド人居住地域である西部のクルディスタン州や、東南部のシスタン・バルチスタン州では、分離独立を求める動きが根強い。
クルド人は、約800万~1000万人の人口を持ち、イラン国内で2番目に大きな民族集団である。彼らは独自の言語と文化を持ち、歴史的に自治や独立を求めてきた。
1979年のイスラム革命後、クルド人の自治要求は政府によって厳しく抑圧され、武装闘争も発生した。
近年でも、クルド人武装組織と政府軍の衝突が散発的に続き、2022年には政府の弾圧に対する抗議がクルド地域で拡大した。
同様に、シスタン・バルーチェスターン州のバルーチ人も、中央政府の経済的疎外や宗教的差別に不満を抱いている。バルーチ人はスンニ派ムスリムが多く、シーア派主導のイラン政府との間に宗派的な緊張が存在する。この地域では、貧困や失業率の高さが分離独立運動を後押しし、武装グループによる攻撃も発生している。
2023年には、バルーチ人の抗議デモが治安部隊との衝突に発展し、多数の死傷者が出た。
■若者の不満と反政府デモの歴史 イランの若者層もまた、政府に対する不満の大きな火種である。
イランの人口の約60%が30歳未満であり、若者は経済的困窮、失業率の高さ、表現の自由の制限に直面している。
イスラム革命以降、厳格なイスラム法に基づく統治は、若者のライフスタイルや価値観と軋轢を生んできた。
特に、女性に対するヒジャブの強制や、ソーシャルメディアの規制は、若者の反発を招いている。
歴史的に、イランでは国民の不満が反政府デモとして爆発することが繰り返されてきた。2009年の「緑の運動」は、大統領選挙の不正を巡る抗議が全国に広がり、若者や中産階級が主導した。
2019年には、ガソリン価格の高騰が引き金となり、全国規模のデモが発生。政府の経済政策への不満が爆発し、治安部隊の強硬な対応により数百人が死亡したとされる。
最も象徴的な例は、2022年に起きたマフサ・アミニの死をきっかけとした全国規模の抗議である。
22歳のクルド人女性、マフサ・アミニがヒジャブの着用ルール違反を理由に道徳警察に拘束され、死亡した事件は、若者や女性を中心に全国的な怒りを引き起こした。
「女、命、自由」をスローガンに、ヒジャブを焼くなど大胆な抗議行動が広がり、都市部から地方までデモが拡大。
政府はインターネットの遮断や治安部隊の動員で対応し、数百人以上が死亡、数千人が逮捕された。この運動は、女性の権利だけでなく、経済的困窮や政治的抑圧に対する幅広い不満を浮き彫りにした。
■政府の対応と今後の課題 イラン政府は、これらの国内の脅威に対し、強硬な弾圧とプロパガンダで対抗してきた。
デモ参加者を「外国の扇動を受けた暴徒」と非難し、インターネットの制限や検閲を強化することで情報統制を図る。しかし、こうした対応は国民の不満をさらに増幅させ、政権への信頼を失わせる結果となっている。
特に、若者層はソーシャルメディアを通じて海外の情報に触れ、体制の矛盾に敏感になっている。
経済的困窮もまた、国民の不満を増大させる要因だ。国際的な経済制裁や政府の経済政策の失敗により、インフレ率は40%を超え、失業率も高い水準にある。特に地方や少数民族地域では、経済的機会の欠如が若者の不満を増幅させ、分離独立運動や反政府活動を助長している。
プロバンス
亡命中のイラン元皇太子、イラン国民に体制離反を呼び掛け
【6月14日 AFP】イラン革命で退位に追い込まれた故パーレビ国王の息子で、米国に亡命しているレザ・パーレビ元皇太子は13日、イスラエルによる軍事攻撃を受けたイランの治安部隊に対し、体制からの離反を呼び掛け、イスラム共和国イランの打倒を望む考えを表明した。
パーレビ氏は、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師がイスラエルとの「戦争にイランを引きずり込んだ」と非難し、イラン政府は「弱体化し、分裂している」と主張した。
「(イランは)崩壊するかもしれない。
同胞の皆さんに伝えてきたように、イランはあなた方のものであり、あなた方が取り戻すべきだ。
私はあなた方と共にある。
強くあれ、われわれは勝利する」と声明で表明。
「私は軍と警察、治安部隊に訴えてきた。
体制から離反せよ。軍人の高潔な誓いを守り、国民に加われ」
「国際社会に次ぐ。
この死にゆくテロリスト政権に、新たな命綱を投げ与えてはならない」と続けた。
パーレビ氏は、親欧米路線のパーレビ王政の皇太子だったが、同王政は1979年のイラン革命で打倒され、取って代わった聖職者体制がイスラム共和国を宣言した。
米首都ワシントン近郊で亡命生活を送るパーレビ氏は、自身は必ずしも王政復古を求めているわけではなく、自分の名前を生かして、世俗的な民主主義運動を支援したいと主張している。
イスラエルは、イランを脅威と見なしているが、故パーレビ国王の在位中はイランと同盟関係にあった。
パーレビ氏自身もイスラエルと良好な関係を築いており、2年前に同国を訪問している。(c)AFP