昭和38年4月1日新潟県に赴任した///続 | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

九州で2回~~新潟で5回の転職を余儀なくされ7転び8起きの人生。

 

番外

〇近接落雷で観音堂で非難していたのが幸いし気絶だけで無傷。

  落雷した菩提寺の銀杏の大木は真っ二つと成り後に枯れ伐採。

〇終戦直後、町内親睦で博多の海岸に海水浴…波に攫われ沖合に

  立つ大人に助けられた。

〇甘木川の堰の下流で渦に巻き込まれ諦めたら浅瀬に流れ着いた。

〇姉と同じ果物を食べ姉は疫痢で死んだが筆者は罹患せず。

 

その間に何度も死線を超えて来た

 

1回目;ガス爆発(乾燥機点火)で体が数m吹き飛ばされた(無傷)。

2回目;2度目の薬問屋で車の免許を取ったが初心者運転でトンネルの

     出口が砂利道でハンドルを取られ左は崖・・右にハンドルを切り

     側溝に落ちた、折よく通りがかった大型トラックに引き上げ。

3回目;3度目の米菓製造会社で2度目のガス爆発~~顔面火傷で

     濡れタオルで顔面を冷やしながら病院搬送・・・。

     火傷の傷は浅いと判断され顔面を包帯でグルグル巻きにされ

     眼鏡をしていたのが幸いし目は火傷しなかったので、

     会社から自宅まで約18kmを運転帰宅・・・行き交う運転手の

     驚く顔が面白かった。

4回目;中之島工場勤務と成った時、緊張から血圧が上がり急停車・・

     会社までつくには着いたが爾来、高血圧の薬が今に続く。

5回目;巻き込まれ事故直前で間一髪何度も事故から逃れた

 

6回目;中越地震で家は無傷・・・大腸がんを自覚し妻には言わず思い出     

     として九州まで5泊6日のドライブ旅行。

     大腸がんレベル4と診断・・・即入院^^転移していた胃の半分と

     十二指腸下の大腸を切除=経過が良かったので退院したが、

     抗がん剤が体に合わず3週間で10㎏痩せ、シャックリが24時間

     止まらなくなり即再入院「抗がん剤不適合」の診断。

     全ての抗がん剤停止で、自力回復だけで健康体となれた。 

 

7回目;高床式の屋根雪を落とす目的で梯子の最上段8mから転落。

     救急車で長岡の中央病院に搬送され両膝骨折の診断で

     両足を太腿から足首まで  両ギブスで固定されオシメされた。 

8回目:上の諸例に比べたら左手首骨折など大した怪我ではない 。