昭和20年8月14日、甘木町の上空で米軍機がビラを撒いた | よかもん人生のブログ

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米軍機が撒いたビラは👇

「明日15日、甘木町を全面的に爆撃する・・・町民は郊外へ逃げよ」

 

大刀洗飛行場に近接する甘木町は大騒ぎとなり、殆どの町民が逃げ出したと言う。

 

我が家も例に漏れず郊外の親戚の家(母の妹)へ避難しようと走ったが、

 

逃げ込む人が多すぎて、これ以上受け入れられないと断られた。

 

父は憤慨し、我が家へ反転し玄関脇の防空後へ避難。

防空壕は裏庭にも有ったが、死ぬも生きるも家族は一緒と、父の発言で、玄関わきの1カ所へ家族全員が避難。

 

その夜は最後の晩餐となる筈で思い残す事が無い様に賑やかだった。

 

開けて15日、父一人玉音放送を聞く為に仏壇の間に上がった・・・。

 

暫くして父が喜びの声を上げ、戦争は終わった天皇陛下がそう言われたと大きく叫んで防空壕に戻って来た

 

家族全員が狂喜乱舞し鶏を潰して御馳走作りと成った。

 

その夜は町中で提灯行列が盛大に行われたようだが子供は危険だからと外出禁止だった。

 

戦後の統制経済で家は父を筆頭に栄養失調が続出した模様。

 

やむなく、闇取引で命を繋ぐ日々が続いた。

 

父の語り事で、こんな時代こそ人の真の姿が見える・・・よく観ておけ。

 

子供時代、「暴れは泣くまで喧嘩は死ぬまで」が合言葉だった。

 

栄養失調で上背が低く、体力も弱かった筆者は、残酷さを見せ付ける事で虚勢を張った。

 

オニヤンマを何尾も捕まえ、目玉を取り、目玉の腕輪を作り友人に見せつけた。

 

父に見つかり目玉の腕輪は1日で終わったが効果は抜群だった。

 

やくざの親分に可愛がられていた事が効を奏し、我が家の前に屯す二派に子分集団からも可愛がられた。

 

本物のジャックナイフも見せて貰ったが、ほどなく所持禁止と成った。

 

小学6年卒業時、140cmしか上背が無く、ちびと言って馬鹿にされた。

 

中学入学と同時に自転車を買い与えられ、行動半径が飛躍的に伸び、

 

食糧確保も飛躍的に伸び、身長も驚異的に伸びた。

 

中学3年間で27cm伸び・・・身長167cm体重❓で標準体格と成れた。

 

視力は両目とも生れ付き悪く、80過ぎて白内障手術をしたら、

 

世の中が一瞬に明るくなり、裸眼視力で0・8となり、運転に眼鏡要らず。

 

幾つまでブログを続けられるかは天命だが、是もまた楽し。