但し、人生最高の時間を得る為にやらねばならぬ事がある。
親の教えは海よりも深く山よりも高いと言うが、
筆者の場合、高校3年1学期末、病気発症で夏休みを含め長期欠席。
卒業は出来たが受験は断念せよと,医者から通達され大学受験断念。
父のアドバイスは、世間は学歴最優先の社会だ・・・高卒で社会生活を乗り切るには、それなりの覚悟を持て。
定年(その時代は55歳)60歳定年後、自由な時間を過ごす為には、
我慢しなければならない事がある。
酒もタバコも、女遊びも、レコードなどの遊興費も我慢して貯蓄に励め、
「経済が崩落したら、優良株に資金の許す限り投資せよ」
それを現役時代~~継続せよ~~生活費は節約し老後に備えよ。
バブル崩壊を経験し、勤務していた会社も6~7度倒産を経験。
そんな中で、結婚し子供は2人、マイカーも持てたし、家も建てた。
そして55歳で最後の転職~~60歳で定年を迎え辞表を提出出来た。
慰留されたが、計画通り辞表を出せた。
その後の23年間は自由気ままに故郷九州まで何度もドライブ。
当時は直江津から博多まで日本海フエリー航路が有り何度も利用。
最大の思い出は、大腸癌(多分レベル4)を妻に隠したまま、
思い出つくりに5泊6日で九州までドライブ旅行をした。
レベル4の大腸癌手術で命は絶える筈だったが奇跡が起きた。
抗癌剤不適合と診断され、3週間だけの抗がん剤治療後、投薬中止。
医者も諦めたのだろう…生もの以外なら何を食べても良いと言われ、
高菜付けや目刺など好きなものを食べたら驚異的な回復を示した。
病院の治療もせず数か月後、癌治療前の体重に戻った事で、
癌治療後の友の会への参加依頼も出なかった。
現在でも癌の再発は観られない。
次の命びろいは、ほぼ10年前の冬、高床式屋根からの雪下ろし転落で
両膝骨折 ̄ ̄救急搬送で中央病院へ入院~~ここでも奇跡的回復で
両膝骨折がみるみる回復~~担当医が首をひねる中10日弱で退院。
退院後半年間は支援2に指定されたが半年後、支援解除となり、
今では遅いが普通に歩けている・・・日常生活に不満は無い。
ほぼ毎日、買い物ドライブに妻を連れだす毎日です。
癌の事、転落骨折の事など過去記事へ書いて有る。