鹿の角きりの歴史
「鹿の角きり」は、1672(寛文12)年に鹿の角による事故を防止するため、奈良奉行の溝口信勝の命によって始められました。
角の生えたオスの鹿は、秋の発情期をむかえると気性が荒くなります。その影響で、当時の奈良町の人びとは、鹿の角に突かれることもありました。
そこで奈良奉行の溝口信勝は、鹿の角による事故を防止するため、当時の鹿の管理者であった興福寺に鹿の角きりを要請しました。これがきっかけとなり、1672(寛文12)年から鹿の角きりは始められるようになりました。
当時の角きりは奈良の町々で行われていました。
まず木戸と竹矢来(※10)で囲まれた町内に鹿を追い込みました。そして1頭ずつ傷つけないように鹿を捕まえたうえで、今と変わらないノコギリを用いて鹿の角をきっていました。町民たちは、この様子を店や町屋の格子(※11)ごしから、または屋根の上などから見学していたようです。
角きりは明治時代の初期には一時中断しますが、明治時代の中頃には春日大社の参道や境内地で再び行われるようになりました。
そして1929(昭和4)年からは、現在の角きり場で開催されました。
その後、昭和の戦時期における一時中断をはさみつつも、現在まで古都奈良を代表する年中行事として続けられています。