子供の日に、もはや戦後では無いと言われた頃の思い出 | よかもん人生のブログ

よかもん人生のブログ

長い人生の旅路を書き綴ったブログです

1956(昭和31)年7月17日

政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言

 この前年の1955年、終戦から10年目にしてGDP(国内総生産)が戦前の水準を上回ったのです。 

日本が戦後復興期から高度成長期へと歩を進める節目の年でした。

  朝鮮戦争による特需を原動力として、1954年末に「神武景気」が始まりました。

 日本の国が始まって以来の好景気という意味から、初代天皇とされる神武天皇の名にちなんだものです。

  この年の12月に日本は国際連合に加盟。

 国連本部に日の丸が掲げられ、国際社会へ復帰を果たしました。庶民には高嶺の花でしたが、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが登場し、大量消費社会が幕開けしたのもこの頃です。

  経済白書では、「もはや戦後ではない」の後、「世界技術革新の波に乗って『日本の新しい国造り』に出発することが必要ではないだろうか」と呼び掛けています。当時の日本人の意欲が伝わってくる名文です。

1956年7月17日の日経平均株価終値は502円92銭。

しかし、巷ではネズミ共が我が物顔に町中を闊歩しまくり、
 
町当局が、懸賞金付きでネズミ駆除を発令・・・
捕殺した尻尾1本につき10円で買い取ると回覧で知らせが出た。
小遣い稼ぎに最適と餓鬼ども(筆者もその一人)は勇んだ。
 
当時はかけうどん=かけそば・・20円・・肉うどん30円・・とんこつラーメン50円の時代だった
 
ネズミの大量捕殺は打ち殺しが一番だが、噛まれる危険がある。
 
何人もの大人が追い詰めたネズミを叩き反撃され噛まれるのを観た。
 

検分の経験を重ね、

ネズミ捕殺の必殺技を発見した。

 

ネズミ達の逃げ道を塞がず、ネズミに大接近する(勇気が必要

 

腕の長さまで近づいたら、ネズミの真上から棒を激しく打ち落とす。

棒で打たれたネズミは断末魔の声を上げ直ぐ死ぬが

その叫びを聴いた群れは全て硬直し動けなくなる

 

おそらく数回行い、数百円稼いだと思う。

 

友達にも捕殺の仕方を話したが、ネズミに接近できず成功は筆者だけ。

 

この経験が食品会社勤務で生かされ、沢山のネズミを捕殺した。

 

職場の書類ダンス裏で大繁殖したネズミの一群を見つけた時は。

ネズミの殺し方をよく見てろと宣言・・・20数匹を殺した。

ハエトリガミで捕殺直前に逃げ出したネズミを翌朝全て生け捕り捕殺。

 

女性従業員全員が震えながら目撃していた。

 

この他、

1,寝室を飛び回るコウモリの打ち落とし方法・・・

2,飛び回るショウジョウバエの打ち落とし方など独自の必殺技を持つ。

 

戦中生まれの餓鬼大将だった。