ウクライナを含むバルカン半島は民族攻防の歴史だ。
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9世紀にはキエフ公国が繁栄。14世紀にはリトアニアの支配を受ける。18世紀にロシア領となり、ロシア革命で1917年に中央ラーダが成立、18年にウクライナ人民共和国として独立を宣言した。
しかしロシアのヴォリシェヴィキ政権・ポーランドの介入などで混乱、22年にウクライナのソヴィエト政権が成立してソ連邦を構成する社会主義共和国となった。
1991年、ソ連から分離独立。首都はキエフ。
2014年からクリミア半島、ウクライナ東部を巡りロシアとの激しく対立している。
2022年2月にロシアの軍事侵攻が始まり、その東部は苦境に立たされている。
戦況悪化でむなしいプーチンの「領土拡大」宣言、モスクワではポスト・プーチン体制に向けた臆測も
東洋経済
ロシアのプーチン大統領はウクライナの東・南部4州で一方的に実施した「住民投票」を受けて、2022年9月30日に4州の「併合」を発表した。
しかしその直後にウクライナ軍が東部要衝を奪還するなど4州での戦況はますます悪化しており、併合の言葉とは裏腹の空しい「領土拡大」宣言となった。
戦況悪化でむなしいプーチンの「領土拡大」宣言、モスクワではポスト・プーチン体制に向けた臆測も
「部分動員」をめぐる混乱も収まっておらず、戦争で主導権を失ったプーチン氏は、国内政治でも政権発足以来20年間握ってきた独裁者的な指導力に陰りが生じている。
モスクワでは「ポスト・プーチン体制」への移行に向けた臆測も流れ始めており、プーチン政権は揺らぎ始めている。
■異様な「併合宣言」の中身 今回の「併合」宣言が異様なものであることを象徴したのが、2022年9月30日にクレムリン内で行われたプーチン氏の国民向けの演説だ。
40分余りの演説では、最後まで戦況に言及しなかったからだ。
本来であればルガンスク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソンの計4州を完全に制圧した後に、「戦勝報告」とともに併合を宣言することをプーチン氏は狙っていたはずだ。
しかし、実際には制圧どころか、4州全域でウクライナ軍の反攻作戦の勢いに押されまくっているのが現実だ。このため、制圧もしていないままでの看板だけの不本意な「併合」宣言となった。
侵攻をめぐってプーチン氏は演説の中で、ウクライナ側に対し戦闘停止と交渉開始を呼び掛けたものの、併合した4州をめぐっては交渉の議題にはならないとの強硬姿勢を示した。これでは、ウクライナが交渉に応じる可能性はなく、事態打開には程遠い内容だった。
演説会場の広間に集まった政権最高幹部の面々が浮かない顔だったのもこのためだ。
だが、この演説で「戦況スルー」以上に内外を驚かせたのは、プーチン氏が演説の半分以上の時間を費やして、米欧に対する憎悪、嫌悪をむき出しにしたことだ。近年、「集団的西側」などの表現で米欧への敵愾心を打ち出しているプーチン氏だが、この日の演説は米欧に対し、積年の恨みをぶちまけるような内容だった。