進駐軍の登場で、町を歩く女たちの風俗が変わった。
大人になって分かった事だが、生きて行く為に、敵に縋りつく女が居た。
パンパンと蔑まれていたが、子供目線では生き生きと見えた。
竹馬の友だった友人の姉もその一人だったが、
暫くして、バッカスと言うバーを開いた。
戦後まもなく、盆を過ぎていたのだが、盆祭りが行われたようだった。
打ち沈んだ気分を一新する為だったのだろう・・・賑やかだった。
翌年の夏ごろ、町内総出でバスを借り切って博多まで海水浴へ行った。
町内は裕福な町で、町内融和が大切と、満場一致で決まったようだ。
しかし我が身に起こった事は、引き波に浚われ危うく溺れ死ぬ所、
腰の深さの所で監視していた大人に救助された。
水で溺れ助かった経験は、小学生低学年の頃、甘木川の堰の渦に
巻き込まれ、諦めかけていたが、浅瀬に流れ着き命拾いした2回だけだ
とっておきの恐怖体験は次回をお楽しみに。