竹島は日本領土と言う決定的証拠が出た  | よかもん人生のブログ

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韓国との決別は米国から出た証拠をもとに決定的となった。

 

参考ブログ⇒「竹島は日本領」示す図面発見 53、54年米軍作成の2点←参照してください。

 
 

米国の航空図、竹島は「日本領」明記 講和条約反映か 10/23(金) 11:29配信 産経新聞

領土問題の調査研究などを行う公益財団法人「日本国際問題研究所」(東京)は23日、韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)が日本領であると明確に記した1953(昭和28)、54(同29)年の米国政府作製の航空図2枚が、米国国立公文書館で見つかったと発表した。サンフランシスコ講和条約発効(52年)直後の竹島を日本領と示す同政府の航空図が確認されたのは初めてという。専門家は「講和条約で竹島の日本保持が確定したとする日本の主張を補強する重要な資料」としている。 【写真】竹島側に「JAPAN」と記載された航空図  同研究所は島根大の舩杉力修(ふなすぎ・りきのぶ)准教授(歴史地理学)に依頼し、竹島関係の古地図を調査。委託を受けた民間調査会社が同公文書館で大戦後の航空図など約100点を調べた。  見つかった2枚は、米空軍が53年12月に発行した「米国空軍航空図」(縮尺50万分の1)、54年9月の「米国空軍・ジェット機用航空図」(同200万分の1)。米国製航空図は世界のほぼすべての地域を網羅し、民用、軍用に広く使用されたという。  いずれも西洋名の「リアンクール岩礁」と書かれた竹島と韓国・鬱陵島(うつりょうとう)の間に点線を引き、竹島側に「JAPAN」、鬱陵島側に「KOREA」と記していた。点線について地図の凡例は53年が国境線、54年は島の主権の境界線と説明。講和条約調印前に発行された版には点線がなく、舩杉准教授は今回の2枚について「条約の内容が反映されたとみられる」としている。  同条約は日本が放棄する領土として、鬱陵島や済州島などを列挙。韓国は竹島を日本が放棄する領土に加えるよう条約を起草した米国に要求したが「竹島が韓国の一部として扱われたことはない」として却下された。  しかし、同条約の内容をめぐり、韓国政府は「独島(竹島の韓国名)は鬱陵島の属島として韓国領と承認された」「(列挙された日本が放棄する島は)韓国の3千余りの島の一例で、独島が韓国領に含まれないとはいえない」と主張している。  舩杉准教授は「2枚の航空図は講和条約発効後の米国政府の地理的認識が反映されたとみられ、日本の主張が正しいことを証明する資料になる」と話した。
 
戦後、李承晩が竹島を襲撃し日本人を殺し、奪い取ったのが竹島だ。
 
その後,今日に至るまで竹島を韓国領土だと主張し続けた。
 

菅義偉総理は全て承知の上で韓国との終焉を覚悟された。

 

 

さてここに至って韓国の弁明や如何に。
 

安部前総理も援護射撃

 

真日本人なら☟の動画を観れば活性化できる。
 

斬り捨て御免。

 

世界で唯一、アジア人を独立させたのは日本人だ。