中越地震の頃は体力にも自信があり、Yahoo!ブログ初心者の頃だった。
我が家で飼育していた金魚や錦鯉は数日前から異変があった。
特に金魚はガラス水槽の底に沈んだままで泳がず餌に見向きもせず。
地震当日、中越地震で水槽が壊れ全滅した。
錦鯉は500ℓポリ水槽の側壁に激突し3匹死亡、1匹は飛び出した。
結局、錦鯉が1匹だけ生き残った。
人には感じない地震波の恐怖を感じたものと考えている。
中越地震の前日から当日まで、空全体を覆う(多分)鱗雲が動かず。
何か変な空模様だなと妻と話をした記憶がある。
その日は土曜日で夕飯に蕎麦屋の駐車場へ停車した瞬間だった。
停車していたのにも関わらず、車の天井に親子3人とも頭を激突。
妻や娘から非難轟々だったが、道が荒波のように上下動し続け、
ただ事ではないと実感・・・うねり続ける道を家に向け発進。
時々震度6級の揺れが襲いその時だけは停車。
道脇の途中には1mも飛び出した排水溝の円い円柱が数多く有り、
道の至る所の隆起陥没を避けながら、わが家へ到着。
玄関ドアが開かず車庫のシャッターを開け靴のまま室内に入ったが、
惨憺たるもので手が付けられず、激しい揺れでそのまま放置。
空き地の駐車場で車の中で夜明けを待った。
幸いマイカーにはテレビがあり、被災状況が具に判断できた。
ご近所の方など一か所に集まり寒さを凌ぎ、時々被災状況を観に来た。
我が家は夕飯抜きだった為、🚙に家族を残し食料品の買い出しに出たが、どこも閉店したままで買えず、ご近所の酒屋でパンと水物をゲット。
その晩は何とか飢えを凌いだが、道一つ離れた隣の町内は、
軒並み家は潰れ、車はペシャンコとなり悲惨惨の極だった。
マイカーの中で3昼夜我慢したが血栓が出来そうになり、車庫に避難。
何とか体を伸ばせるようになった。
手動式の石油ストーブが有りカセットコンロもあり、食糧確保が仕事。
愛犬が2匹いた為に避難所行きは最初から断念した。
次の日には早くも夜明けとともに自衛隊が救助にきてくれ、
避難所が開設された。
食料品も水も並べば頂けた…感謝感謝でした。
電気ガス水道が全面回復するには10日ほど掛かった。
その間、女性はトイレの不便が一番堪えたとか。
当町内の結束は固く、すぐに当番制の制度ができた。
人の情け冷たさが良くわかる体験でした。