コロナ感染の最中、民族大移動となる、旧盆が迫ってきた。
人口減少が50万人超となった今年、【有為の奥山】を考える。
1920年代第一次世界大戦で日本は好景気に沸いたそうだが、
戦争の陰で人類はスペイン風邪のパンデミックでで膨大な死者が出た。
日本人口の先細りは由々しき大事なんだが、若者は無関心に観える。
今の快楽を求め、明日の事など、ケセラセラの風潮だ。
将来の子供の生活など知るものかと嘆かわしい時代となった。
人口減に歯止めをかける政府の呼びかけなど聞く耳持たず、
今の生活を享楽しているとしか観えない…キリギリスの生活様式だ。
日本[編集]
1919年までの日本は、第一次世界大戦の特需景気(大戦景気)で、繊維・造船・製鉄などの製造業や、海運業が大いに発展した。戦争に乗じて欧州諸国の市場であったアジアに商品の販路を広げた。これらの理由により輸出が大幅に伸びて、日本は米国同様に債務国から債権国に転じた。この好景気を背景に東京や大阪などの大都市で百貨店が営業をはじめ、ラジオ放送や雑誌の創刊が行われた。
1920年代に入ると大戦景気の反動による不況(戦後恐慌)をはじめとして、震災恐慌、金融恐慌など経済的な苦境がつづいた。都市の中間層の増大は大正デモクラシーといわれる政治上の主張としてあらわれ、一般大衆の選挙権を求める運動 (普通選挙法)がさかんとなった。本格的な政党政治がおこなわれ、一方では社会主義思想が広まって労働争議や小作争議が相次いだ。
1923年の関東大震災を忘れてはならぬ・・・必ず大震災は来る。
簡単そうに見えても『有為の奥山』は越すに越せない田原坂だ。
だからこそ、次代を担う子孫繁栄を願い自分の遺伝子を持つ子孫に、
将来を託すのが、生命全体の宿命なのに、嘆かわしい。
子供時代に比べると昆虫層が激減し、鳥の種類も数も減った。
蛇も蛙も減った…トカゲはいても、ヤモリ(家守り)など探してもいない。
人為的な関与が疑われる外来種の動植物は増えた。
昨日、セミの抜け殻を探したが1つしか見つけられなかった。
纏まりが悪いが、今日のブログです。
