芸能人の死が続く
何となく、亡父が書き残している『老いのたわごと』を読み返した。
昭和42年~43年にかけて書き残している。
書き出しは、父が故人になって32年、来年はその年齢になるとある。
額縁の人でしか知らぬ祖父母の事も「思い出の手記」に書かれている。
その中で、政治的な話題も、長年町長だった父の縁で中央政権とも
繋がりがあった。
平民宰相・原敬と言えば、今でこそ知る人も少ない過去の人だが、
憲政史上で重要な第一人者・・原政友会総裁の同志で片腕だった
野田卯太郎(翁)は福岡県出身代議士、現職の逓信大臣でもあり、
県政会では大御所的存在、年少時代は、とうふのかつぎ屋をしていた、
出世してその地位を得、立志伝中の人。
我が家の座敷に、直筆の原敬の色紙と野田卯太郎氏の反折紙本の
軸を見せられた・・・水墨の山水でなく、四君子とでもいうべきもの。
父の癖で褒められるとすぐに人にやるのが玉に瑕で、逃散し今は無い。
大概は、花の事、それも風蘭の記述が多い。
我が家の事柄については、是はわが体験であり、記憶の一部である。
従って子らに或は孫達に世相の異なった現在「かくあれ」と言うのではなく、「かくあった」と伝えるだけで他意は無い・・・と書いてある。
何かの機会に通読すれば、又何かを知徳するであろう。
それが血族の血となり肉となり骨と成るかもわからない。
親子鷹には烏滸がましいが、『老いのたわごと』を読み直した。