真人(まっと)ムジナ伝説の穴を訪ねて | よかもん人生のブログ

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小国のふじ井で昼食を取り、山越えで若栃のムジナの穴へ。


「真人むじなの穴」は独りで入ってはいけません。

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前にも何度か訪れた場所ですが、その後の変化は?・・・

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妻は全く車から出ようとしなかった。

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昔とった杵柄で急階段を慎重に上り中を覗き込んでみた。

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今回も穴の奥から、ブ~ン・ブ~ンと重低音が聞こえて来た。

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道を挟んだ谷底は沢水が流れ棚田だった。

真人のムジナ伝説⇩


約百七八十年前の事、若栃部落の作物を荒しまわり人間をばかし、

夜道をまどわかし岩壁の谷に落しワキの下から生血をすいとり、

葬式の行列をまねて人間を追いまわし興の中からゆうれいを引出す等

帰宅死亡した人もあり時々真人山地八ヶ部落民を火災の鐘をならしてさわがせたり困難の結果、部落協議の末、会津藩士、下長岡様(牧野様)にお願いしてムジナ退治の御許可を得た。
当時の小千谷は会津藩の飛び地
その時の許可書に日の丸の旗を頂戴して公然と穴掘りに取りかかりました。

その晩ツブラさん(真人若栃南山の土地所有者の家号で当時の主人細金忠兵衛、現当主細金一雄)方では年一回づつ御馳走をムジナの穴に供えていたが、その日はより一段とよい御馳走を上げて明日は穴を掘るからこれを食べて覚悟せよと申上げ供えた。

其翌朝見れば残らずその御馳走を食べていたそうです。

やがて区民は掘初め六十メートルも掘ると色々住み安く穴を作っていたそうですが三十四頭も捕獲して終りぎわに大将ムジナは岩に化け谷に落ち向山の上で腹太鼓を打って皆なをくやしがらせたとの事でした。

その当時の日の丸は日天月天の長旗であったそうですが時の戸長である向屋敷(家号)さんに預りたるを後に小学校の校長さん方がその事を聞き参考に借れて行き、返し又借れるうち遂になくなって仕舞ったそうです。

今あれば文化財として後世に名をとる事が出来たのにと惜しまれ残念がらせて居ます。

出典:
『小千谷市総合文化協会ホームページ (『小千谷文化』第15号から)』
提供元:小千谷市総合文化協会

「真人むじな」がこの時逃げ延びて海の底を掘り狸の大親分、

「佐渡の団三郎タヌキ」と成ったと言う言い伝えも残されて居ます