故郷で満開の桜が観たくなり、2カ月前に航空券を予約して・・・
桜は満開には程遠く、部分的にしか咲いていなかった。

勇躍出かけたのだが・・・お遍路さんなら独り旅でも同行二人だが、
「よかもん」の肩には、両親や兄弟の霊が8人分も負ぶさり帰省旅。
新潟から福岡行きの航空機が少し揺れた所為でハプニング発生。
福岡空港で接続バスに乗り座った瞬間、6歳位の女の子が、
お母さん、ゲロが出ると、次の瞬間、私の横の通路で大量の嘔吐。
バスの通路はゲロが広がりパニック状態・・・
私のブレーザーの下の部分にもゲロの一部が掛かった。
旅は道連れ世は情け、気にしないで下さいと返答したら、
泣き出しそうな、お母さんの安堵の表情が印象深かった。
次のハプニングは有ってはならない物だった。
宿泊ホテルで、外出から帰り預けていた鍵を貰い部屋に戻ったら、
鍵が合わない???部屋番号を確かめたら別の部屋番号・・・
その部屋を開けたら、人の荷物が見えたので、即フロントへ戻り、
鍵が違うと抗議したらスミマセンでしたでチョン。
鍵を間違えるなど有ってはならぬ事。
事故が起きてからでは遅いんだよね。
墓参を済ませ、お寺への年会費を納め、母の実家へ立ち寄った。
95歳の叔母が一人住まい子供が頻繁に様子を見に来ているそうだが
しみじみと話していた・・・まさか会えるとは思って居なかったと。
叔母が言うには、私が死んだら葬式に来てくれるかなと?・・・
私が生きていて元気なら、葬式に出ると言ったら安心していた。
4月3日に母校を訪ねたら、新任の校長が対応して下さった。

(校長撮影)
玄関で四方山話をした上で、校庭なら自由に見学が許可された。


高校付近の桜は部分的には見ごろだった。

メインの筈だった甘木(丸山)公園、4000本の桜は早すぎた。
4月2日、観光地である柳川に電車で向かった。

乗換駅で、写る筈のない大きな顔が!?!?ナニコレ。
柳川はさすが観光地、特亜語が飛び交って居た中で、
駅前の観光協会が、舟下りの観光客を無料バスに誘導していた。

柳川は掘割を生かした観光で四季折々、客足が絶えない。
クリック⇒柳川観光協会
鰻料理がメインの掘割観光で成り立っている。
舟の先端に運良く座れた・・・船頭が開口一番、
日本人の方は手を挙げて、24~5人の中で手を挙げたのは4~5人。
「よかもん」のすぐ後ろは台湾から来た女性客3名。
残りは、支那人と朝鮮人・・・うるさい、煩い、五月蠅い。

ハプニングは一天にわかに掻き曇り、雨が降ってきた。


この舟では雨具が配られ、何とかしのげた。

舟から買い物ができる場所も設けられていた。
町中散歩で驚きのお土産が・・・有明海の珍魚(ワラスボ)。

ネーミングに皆さんギョッとして見るだけでした。
3日は、特段も無く博多の市内見物で終始した。
福岡空港が大改装中で、食堂街と土産物屋が出来ていた。
帰路も低気圧の所為で、かなり揺れたが、新潟まで寝ていた。
75歳、帰省独り旅、漫遊記でした。