故郷を思い、高校時代の同級生に手紙を出した事から、
中学校卒業の同窓会の話に発展した。
同窓の友人はスラスラと記憶を語るが、仲の良かった数人以外、
500人超もいた同学年10クラスの顔も名前も思い出せない。

戦後10年余り、記憶と同じで当時の卒業アルバムは貧弱で、
写真は白黒で小さく、アルバムに名前や住所の記載が無かった。
別印刷で名前と住所が有ったのかも知れないが手元には無い。
殆どの友人とは1960年高校卒業以来、会ってはいない・・・
何故か自分が写っている見開きの白紙部分に、
「国木田独歩」の【丘の白雲】の詩を書き込んでいた。
大空に漂ふ、雲の一つあり、童、丘に登り、
松の木陰に横たわりして、ひたすらこれをながめゐたりしが、
そのまま寝入りぬ。
雲、童を乗せて、限りなき蒼空をかなたこなたに漂う心ののどけさ。
童はしみじみ嬉しく思ひぬ。
童はいつしか他の事を忘れはてたり。
目覚めし時は秋の日西に傾きて、丘のもみじ火のごとく輝き、
松の梢を吹くともなく吹く風の調べは、
遠き島根に寄せては返す波の音にも似たり。
その静けさ童は再び夢心地せり。
童いつしか雲の事を忘れはてたり。
この後、童も憂きことしげき世の人となりつ。
様々な事、彼を悩ましける、そのをりをり、
思ひだして、涙催すは、かの丘の白雲、かの秋の日の丘なりき。
あれから60年、記憶の減退をまざまざと感じた今日でした。