夕日に向かって墓参りの人達が数多く通る。

仏前に花と蝋燭、線香をあげて、今の幸せを感謝した。

鼻垂れ小僧の頃(今の子ではほとんど見ない)戦争が終わり、
親は子供に喰わせる為に必死で働いていたが、子供は自由だった。
貧乏でも腹が減っていても・・・あの頃は良かったな。
勿論、食料の補助として、川魚も取ったし蟹もタニシも採った。
闇の食料を買って来ないと栄養失調になった(父が率先した)
貧乏人は麦を食えと政府が言う時代に厳しい父から
日本人は、かくあるべきだと思想だけは健全に教育された。
盆と正月だけは特別で白米のご飯だった。
その父母を九州に残し、1000㎞余も離れた新潟に転職し、
滅多に帰省もできず親不孝を重ね親は鬼籍に入った。
盆が廻って来るたびに走馬灯のように思い出が蘇る。
環境は違い思い出は違えども、全ての人が通る人生の道だ。
お盆だから祖先も親もこの文章を覗き込んで居るかも知れない。
テレビから釣りバカ日誌の三途の川が見えている。
「急くな騒ぐな天下の事はしばし美人の膝枕」で逝きたいものだ。