戦後の記録です。

当時の豪農が横綱・大関・関脇とずらりと並んでいる。
越後(新潟県)には、豪農と呼ばれた日本有数の大地主が沢山いた。
敗戦後、全国で米軍による強制的な農地解放が行われ、
農地改革(農地解放)
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[ 1 : 農地の再配分 ]
敗戦直後、連合国軍総司令部 G H Q ( General Head Quarters ) の指令に基づき、農村における封建的社会制度を打破するために、 昭和 22 年 ( 1947 年 )から昭和 25 年 ( 1950 年 )まで 、3 年間かけて、 農地改革 が行われました。
農家の下克上はこうして始まった。
当時のお巡りさんの初任給・・・昭和21年=420円;23年=1800円
総理大臣・・・昭和21年=3000円;23年=25000円。
当時の豪農の収入の多さが判る番付表です。
戦後の狂乱物価で、農地を無くした地主は落ちぶれ、
タダ同然に手に入れた農家は、日本列島改造論で農地が暴騰し、
土地を売却した農家長者が続出した時代。
農家の庭先には高級車が並び、鼻息が荒かった。
世の中は・・・運否天賦・・・奢れる者久しからず・・・
引用ですが↓
昔の日本語には 「 愚か者 」 の意味で 「 たわけもの 」 というのがありましたが、
「 田分け者 」 の意味でした。
狭い農地を細分化すれば農業経営が成り立たずに、
共倒れになることを戒めた言葉でしたが、
占領軍の威光には逆らえずにやむなく受け入れたのでした。
貿易自由化を前に「@田分け者」となった小規模農家は、
大あぐらの時代から一転危機に瀕している。
命令したのが占領軍のアメリカだった事は幸いで、
支那やソビエトに占領されていたら、今の幸せも無かっただろう。
民主党政権では、この先不安です。
周辺諸国からチョッカイを出されても何も出来ない。
防衛大臣が民間人では、専門知識はあっても、
戦争や、テロリスの蜂起など危機緊急の事態に間に合わぬ。
幹事長会談、口先で腹を割って話し合うなど、誰も信じないだろう。
今の民主党議員たちは、農地解放された小作農家に似て、
小作農家は農協に、おんぶに抱っこ、議員は党執行部の意のまま。
独立独歩で歩けるものは少数派である。
解散総選挙を心待ちしている。