今朝の最低気温は0℃を記録し西空に月が沈む頃、
初氷を踏んで快晴の空の下を歩いてきた。
臨終での断末摩はその人の生き様が現れるとも言う。
死別した父母4人と姉と兄・・・すべて穏やかな死に顔であった。
特に、姉と兄の死に顔が、息を引き取った瞬間から、
亡き父母の顔に急変した事で残された弟と姉達と共に驚かされた。
12日他界した叔母の表情に本能を見た。
アルツハイマー末期で、噛む事も飲み込む事も忘れ果ててはいたが、
本能は食べ物を求めたかったのだと思います。
映画「おくりびと」の所作をつぶさに眺め、納棺に立ち会った。
臨終に動揺する庶民の心を誘導する宗教家は、
臨終に際し、現れる死相に、現世の業が出てくると伝えているが、
こじつけである。
例えば、日蓮宗の日蓮上人の断末摩はこう伝えられている。
臨終からの部分引用だが↓
日蓮自身はというと、その死相は想像を絶する悲惨なもので、
大腸癌によって糞尿は垂れ流しとなり、腹が痛い、腹が痛いと悶え苦しみ、
最期にはその痛みに耐えられずに、白目を剥いて絶叫して果てた。
この日蓮の凄惨な最期は、
日蓮が、悲惨な地獄の亡者となったことを如実に物語っている。
人心を惑わす僧侶の死に顔は、黒く変色するとも伝えられている。
人生いろいろ、人の生き様もいろいろ、死に様もいろいろ、
全て残された人間が作り上げた「こじつけ」である。
今夜は通夜、明日は身内だけでの家族葬・・・肩の荷はまだ続く。