昼間のブログオフ会に引き続き、夜は卒業50年目の同窓会が
10月25日夜、原鶴温泉・ホテル小野屋で行われた。
小野屋の玄関先まで、送っていただいたブログ友「タケタケさん」に感謝です。

18歳のあの日から幾星霜、大道を歩けた者から、心ならずも卒業後夭折した者まで、
362名の同窓生は、連絡ついた者だけで、297名。
同窓会に出席した者、81名(男46名;女35名)。
没後者は35名になっていた。
欠席者の現況は一言コメントとして印刷された物が回されてきた。
コメントの無い者も多い。
出席者のなかで最も遠方で有ったのが新潟の「よかもん」でした。
ホテルで顔を合わせた瞬間に浦島太郎の心境になった。
50年、会わなかった顔立ちはまるで記憶が蘇らない。
半世紀という長さは体に刻み込まれ、夫々が歩んできた人生を深い皺に刻み込んでいる。
親しかった仲間4名のうち、1名は夭折、1名は行方不明、1名は癌で出られず
残る1名はコメントも無く出てこなかった。
残る1名はコメントも無く出てこなかった。

幹事の挨拶の後、校歌の合唱、宴会会場は大いに盛り上がった。

ここでもハプニングが有ったのだが、纏めてハプニング集に記す。
二次会はホテル内のカラオケバー、81人が押しかけては入りきれない。

ギュウギュウ詰めの中、誰もが歌よりも話に夢中になっていた。
お船の方が生まれた与板町制作の歌、「天地人あゝ兼続」は歌いましたよ。
(CD内の独唱は長岡市市長・森 民夫です)
(CD内の独唱は長岡市市長・森 民夫です)
最後は肩を組み合って高校三年生を合唱しお開きとなりました。
次は2年後、古希の祝いに,また元気な姿で会いましょうと同窓会の決定が決められました。