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帰省旅2日目は故郷甘木に宿泊し、
ブログ友「タケタケさん」と「おじさん」との合流時間まで懐かしい町を散歩した。
町の中心甘木商店街は寂れ果ててシャッター通りと成り果てていた。
他所と変わっている点はこのアーケード街に車の乗り入れが可能であると言う事である。
町中に建つ須賀神社の大鳥居には祖父の名が刻まれている、
祖先の偉業に感動です。
倅夫婦達が以前帰省した時、間違えて須賀神社内の小さな鳥居で祖父の名前を探した。
9時半にブログ友3人が合流し、太刀洗飛行場跡地にできている、コスモス園に向かう。

1000万本が咲き乱れるコスモス畑、今はキリンビール所有地で無料開放されている。
見事の一語、こんな見事な群生は初めて見ました、感動です。
「太刀洗平和記念館」東洋一を誇った太刀洗飛行場がここに有りました。

97式戦闘機やゼロ戦の実物のほか、天井ではB-29と迎撃機が骨組みで比較できる。
同飛行場から飛び立った特攻隊員の写真や家族への手紙も展示している。
特攻機が飛び立った飛行場は鹿児島の知覧飛行場が有名ですがこの太刀洗飛行場からも
多くの若者が敵艦撃沈を悲願として死に場所に向かい飛び立っていったのです。

本物のゼロ戦だけは撮影可能でした。

書きながら涙が浮かびます。大感動(合掌)

私の長姉は女子挺身隊としてこの場所で機銃掃射を受け九死に一生を得ています。
間一髪で防空壕へ引きづり込んでくれたのが後に夫となったその人です。
終戦後、この場所まで小学生の時代に弁当持参で悪友と連れ立ち、
甘木中心地から何度も爆弾の破片や弾拾いに来た思い出の場所です。
ブログ友の「おじさん」は館内の説明に涙が止まらないと一足先に出て待っていました。
記念館を後に、大巳貴神社(おおなむちじんじゃ)に向かう。
神社仏閣は、「おじさん」の専門分野、日本での神社発祥がこの神社だと地元では伝えられています。

出雲大社はここから分かれて行ったと聞いていますが、真偽のほどは皆目わかりません。
次に向かったのが有名な秋月の小さな城下町。
風情のある町並みは観光客の絶え間が有りません。

今はまだ紅葉には早かっが、11月半ばは歩く事さえ困難なほどの人込みとなります。

この秋月でも、まさかの大ハプニング後のお楽しみです。
少し雨が当たりだし、同窓会開催場所の原鶴温泉に向かう。
途中に、ご高齢であった斉明天皇が百済救済の為、都から筑紫のこの地まで下向されて
住まわれたて居たという「此の丸殿跡」が有ったのだが雨のため割愛。
原鶴温泉・ホテル小野屋前で二人に見送られて解散となった。
タケタケさん2日間にも渡りマイカーでのご案内感謝しています。
「おじさん」専門分野でのブログ記事での薀蓄を期待しています。
いよいよ50年目の同窓会に・・・続く