
あれから4年、中越地震の激しさは年月と共に記憶の底から蘇る。
4年前の中越地震で、長岡市と小千谷市の境界にある、
信濃川、妙見の崖下で「皆川優太ちゃん親子」が生き埋めとなっていた場所を訪れてきました。

現場には花束が飾られていて、
NHKカメラと、新潟日報の記者が取材していました。
中越地震を忘れないための場所が生々しく保存されています。
68人が犠牲者となった中越地震を忘れないために、
今日この日に被害の酷かった各地で復興イベントが執り行われている。
その一つ、「結びの灯火」と命名された行事の模様です。





黒人のドラマーが演奏していました。
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中越地震四年目復興イベント
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中越地震四年目復興イベント
あの日、ある蕎麦屋の駐車場で震度6強に襲われ、命からがら家まで戻り、
3日間の車中暮らしを含めて電気ガス水道のライフラインが完全停止、不自由な暮らしを強いられました。
あの蕎麦屋さんで、中越地震発生時間17時56分を迎えました。

記念すべき「天ざる蕎麦」の夕食でした。