




先日行ってきた日帰り湯、「雲海」からの帰り道、
越後三十三番観音霊場十番札所の 長徳寺 千手観音 にお参りして来ました。
ここの山門や観音堂の格天井図は時々紹介されています。





ご本尊は、千手観音菩薩像で寺の縁起は
ご縁起 鉛暦二十年(801)征夷大将軍坂上田村麿の開創で、僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は、京都清水寺の観世音と同木といわれている。 田村麿は、奥州の勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京するおり、この地に休息し、再び出発しようとすると、不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。 そこで田村麿は、ここに一宇を建て、観世音を安置し、二人の家来を守り役として残し帰京した。今このあたりを、伊勢平治、友重というのは、この家来の名残である。(この項、引用)
今まで三十三観音のうち7~8箇所しか訪れていません。
ここは近くでもあり、何度か来ています。
坂上田村麻呂日本初の征夷大将軍としてあまりにも有名ですね。
ここもその縁の寺の一つです。
先住民の蝦夷の人たちに取っては、侵略軍の日本人、平安時代の都人に必死に抵抗した事が窺えますが、
軍事力の違いは如何ともし難く、現在の日本人の祖先が勝利を得たのです。
蝦夷の人たちは北海道へ追いやられ、少数民族アイヌとして連綿と血脈は繋がっています。
世界中にこんな例は沢山有ります。
敗者の霊を慰める為、観音寺が各地に出来たのかは、定かではないですが、
参拝するたびに、蝦夷の人たちの無念の思いが偲ばれます。