外では地方選挙の宣伝カーが姦しく走り回っている。
日曜日に映画鑑賞して(東京タワー)故郷から旅だって来た頃を思い出した。
田舎町から田舎町への空間移動では映画のような華やかさには欠けている。
九州出身者にとっては雪国の風物は驚き以外の何物でもなかった。
4月だと言うのに会社の寮の前は二階の窓まで雪の山があり、玄関に入るのに雪の階段が付けられていた。
全てが初体験で、戸惑うことばかりであった。


そんな中で研究室の仲間とは和気藹々となり、20歳頃の妻とも出会った。


そんな中で研究室の仲間とは和気藹々となり、20歳頃の妻とも出会った。
若さと活力に満ち満ちていた青春時代の思い出は強烈に残っている。
独立独歩の気構えがあり、映画と違う点は一度も自堕落な経験が無いことである。
社員寮から、下駄履きで外出すると雰囲気が何か違うと見えて、呼び止められたことが2度3度とあった。
一度などは、声高に♪妻を娶らば才たけて見目麗しく情けあり~~~と歌いながら歩いていたら、
呼び止められ、今時珍しい何処から来ました?と白髪の紳士に声を掛けれられ家へ招待された。
変人として、かなり変わっていたのだと思う。
雪国に来た翌年、東京オリンピックが開催された。
人生ドラマは百人百様で正解も不正解も自分で選ぶか、運命として選ばされてきた道である。
私の場合、名誉も地位も金も得たものは少ないのだろうが、結果オーライであった。
父から教えられた我が家の言葉として、
【富貴を望まず名誉を願わず神の恵みの長く遠く・・・】がある。
祖父の残した言葉として、
【かって名利の心頭に至るなし、閑中の富貴たれか我にしかん、落ちず人間第二流・・・】
祖祖父、祖父、父と続き、私も子に伝える言葉は、
【乞食根性を持つな】である。
信念を貫くことの厳しさ難しさは、父の残した「思い出の記」で晩年の祖父と父の生き方をみれば分かる。
生を受けて65年父の足元にも及ばない。