

上2枚の写真は昭和45年発売の毎日新聞社発行
第二次世界大戦・太平洋戦争編に載せられていた硫黄島攻防戦のものです。
第二次世界大戦・太平洋戦争編に載せられていた硫黄島攻防戦のものです。
今、話題の映画、「硫黄島からの手紙」を見に片道40キロのドライブをしてきました。
平日でもあり、負け戦の映画を見る人は少なかったですね。

1945年2月、猛爆撃と艦砲射撃にさらされた後で、米軍の上陸が始まり、

1945年2月、猛爆撃と艦砲射撃にさらされた後で、米軍の上陸が始まり、
日本軍との死闘が始まったのです。
この島には孤立無援の日本軍およそ(陸軍1万7500人、海軍5500人)の守備隊が、
米軍上陸部隊の海兵隊、およそ6万1000人(支援海軍22万人)を迎え撃ち、
60隻の艦艇と6隻の空母から飛び立つた米軍機の猛攻に耐え、
1ヵ月後、日本軍はほぼ全滅、米軍は日本軍を上回る3万3000人の死傷者を出した。
映画からは伝わってこなかったが、硫黄島は活火山で地熱は凄まじいものがあると聞いている。
その岩石を掘り過酷な労働に耐え、飢えと乾き、病気との戦いの中18キロもの洞窟を穿ち、
祖国の捨石となりながら、散っていった日本人に敬意を表したい。
攻防ところは違っても戦い散っていった米兵たちも祖国の為に戦っていたのである。
戦後60年、この映画が生まれ、硫黄島に残されていた栗林中将の遺品の手紙が、
映画の題名となっていた。
私でもその立場にあれば戦って死んでいたでしょうが、戦いの虚しさを知るためにも、
この映画、「硫黄島からの手紙」は見て欲しい映画です。