子供の頃の餅つきの思い出 | よかもん人生のブログ

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昭和20年代、子供の頃の年末の思いではなんと言っても親戚一同が集まってする、餅つきである。

これは日本人なら誰もが待つ共通の思い出でもあるが、中身は少しずつ違うだろう。

我が家は近くに住む母の兄弟3家族が集まって、母の実家で行っていた。

時には5家族が集まる。

従兄弟だけで15人~19人ほどいる。

大人が餅つき準備に忙しい頃から、子供の天下が始まる。

小さい子供は我が家に急ぎ、かくれんぼが楽しみの始まりとなる。

家の中に階段が3箇所あり、逃げ回れるため鬼ごっこは面白かった。

日頃は走り回ると怒られたのにこの日ばかりは、大人が留守のため、自由自在の我が物顔。

餅が蒸け上がる頃には餅つき現場に陣取って搗きたて餅を千切って貰うのが楽しみである。

5-6段重ねの蒸籠(せいろ)から、蒸け上がった餅米が臼に明けられると、待ちかねた男達が

すかさず杵でこね上げた後、搗き始める。

合いの手の手返しを入れるのは、ベテランのお祖母ちゃん。

息を合わせ、かけ声を掛けながら、ペッタンペッタンと搗きあげる。

搗き上がった餅は、女性達が手早く千切り丸めた餅を「もろぶた」の箱に並べて納める。

それが延々と続く中、子供達は百人一首の坊主めくりや、将棋の駒崩し、

あるいはトランプの七並べなどに遊び興じていた。

たこ揚げと独楽回し、新作の双六は、正月の楽しみとしてとっておいた。

一番嬉しかったのは、ミカン釣りゲームである。

枝葉の付いている子ミカンが、山盛りに炬燵の上に積まれると、縫い針に30僂曚匹了紊通された針が用意される。


子供達は順番に糸がつけられた針を、ミカンめがけて投げつける。

針が刺さったミカンをそっと手元に引き上げてきたらそれを貰える。

上手くミカンの木の部分に針が刺さらないと、針は抜ける。

大人も時には参加して、夢中になった。

その合間に叔父さんがカルメラ焼きを作ってくれる。

甘みに餓えていた時代でもあり、その美味しい事、砂糖が焦げる、あの独特の香りが家中に漂い、

次は誰々の分と自分の順番が来るのが待ちどうしかった。

餅つきの思いでは、「タキ、マサコ」さんと言う人のホームページに詳しく書かれている。

下のURLで紹介します。

餅つきの思い出;http://homepage2.nifty.com/masako-taki-1272/hon-motituki.htm