大学卒業後の父は。「若き日の父の面影しのぶために、この書を子らの座右に贈る」と副題を付け、
京城歯科大学沿革史(400部限定出版)を子供達に一冊ずつ残して逝った。
大正十三年東京歯科を卒業と同時に派遣されて京城歯科医専に赴任している。
初代教授の一人として、機材から内規作りまで現在の京城歯科大学(今の正式名称はわからない)の生みの親の一人として働いている。
当時は日本が統治していて、先端技術の一つである後の大学付属病院なども、やっと産声を上げた段階である。
ここでの開院までの経緯が詳しく書き込まれている。今の韓国の人達に見せてやりたい内容である。
治療での失敗談もおもしろおかしく書いてある。
昔の韓国での暮らしぶりは更に詳しく書かれており、若き日の父の日常が手に取るようにわかる。
母とは従兄弟同士の結婚で、同時に京城に連れて行ったようだ。
昔の男であり、母の事はあまり書いていないが、
父が女子学生や看護婦に持てた事で、母が悋気した話などがちらほら書いてある。
激動の世の中で、父母の人生は富貴から奈落の赤貧まで味わっている。
その中で言える事は、侍としての気概を生涯失っていなかった事である。
私にもその血が流れているが、父母に遠く及ばない。
ただそのお陰で今の所人生を踏み外さずに生きている。
父母に感謝の心を持ちながら。・・・
父の一言;人は喉もと過ぎれば熱さを忘れる。事に臨み見返りを求めるな。・・・
母の一言;胸に手を当て正直に生きればそれで良い。・・・