わらじ会で観光地探訪 | よかもん人生のブログ

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未だ40代の現役バリバリの頃、仲間三人で、わらじ会を作った。

草鞋の代わりに車を利用して、県内初め近県の観光地を回り、親睦を深める会である。

お互い子供からは漸く解放され、互いの親達も元気な内にと意見が一致。

誰かからの呼びかけで,交替に車を出し合い、二つ返事で集まってはドライブに出かけていた。

丁度その頃に、新潟県が故郷の散歩道と言う、観光キャンペーンの為の420ページもの本を発行した。

県内の観光地が網羅されていて、案内地図付きが当時としては目新しく早速注文した。

紹介された場所が130か所、これを全て回ろうと張り切ってドライブ目標にした。

その間にも福島県の会津や長野県まで足を伸ばす。

お陰で九州出身者が新潟県観光地に関しては会社一番の物知りになった。

草鞋会結成から、3~4年立つとほころびが見え始めた。

互いの親達が、一人欠け二人欠け、

それに子供の進学が絡み、倒産転職など、微妙に事情が食い違ってきた。

こうなると、ドライブの意見が一致しなくなる。

二人だけのドライブがしばらく続いた後。わらじ会は自然解消となった。

カーナビなどない時代、男三人のドライブは心強く、不案内な道でも平気で突き進んだ。

一人は個人の写真屋さん。

彼が旅行の記録係で何枚も写真を撮っては風景写真を店に飾っていた。

人生、出来る時に思いで作りをしておかねば、悔いが残る。

お互いの妻達は、我々が道を覚えた後でその場所に連れて行く。

道も間違えずその場所に行けるため、親父の評価も上がると言う訳である。

今この年になり、あの頃の経験が非常に役に立つ。

山菜の名前や、有る場所、キノコの見分け方など、知らない事を教えられた。

南総里見八犬伝に中越地震で被災した、

山古志村や村松町が古代から栄えた夜麻の里として紹介されている。

こんな知識もわらじ会があったればこそ。

懐かしき思い出である。