忠臣蔵、松浦の太鼓 | よかもん人生のブログ

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ブログ仲間の一人から、忠臣蔵で和歌の掛け合い場面があるが、その和歌の文句を知りたい

と、聞かれたが、判らなかった、ネット検索は未熟のためか判らず

市立図書館で調べて貰った・・・結果は日本人なら何度か聞いている和歌であった

歌舞伎ハンドブック藤田 洋、編 三省堂 の中、P176松浦の太鼓に、記載されていた

「新舞台いろは書初」の大高源吾のくだりを明治になって独立させ

忠臣蔵外伝として初世中村吉右衛門が当たり役として広め家の芸「秀山十種」に入れたとある

あらすじ(原文通り)・・・元禄13年の師走両国橋のたもと、俳句の師匠宝井基角は

しばらくぶりで、元赤穂藩士の大高源吾に出会った、源吾は基角の弟子だが、

浅野家断絶のあとまったく顔をみせていなかった、すす竹を売り歩く

みすぼらしい姿に同情した基角は、松浦しずのぶ候(「しずのぶ」が漢字変換できず)

から拝領した羽織を源吾に与える

さらに基角は 「年の瀬や、水の流れと、人の身は」と詠んで、

源吾に付け句を求める源吾は 「あした待たるるその宝船、」と返して去っていった。・・・

翌日が討ち入り隣家の松浦候が源吾を褒め称える場面へと続く

何度も聞いた和歌だが、覚えていなかった、不覚である、ここに記します。