目倉谷は高津尾の郷原と目倉の境を

流れる谷川で一年中水が枯れること

のない谷川です。新322号線から旧

322号線に入ったところにある会社の

南隣(石原町側)を流れています。
この谷川は古くからあれこれ興味深い

伝承がいくつもあるので石原町町内

の北隣の他の町内になりますが石原

町とも古くから何かと関係があったの

でここで紹介させていただきます。

今回の伝承は市丸町内に住んでおら

れたM氏のお話しを石原町在住で、

かつて昔語り同人であったK氏が再構

成して記事に書かれたものです。
原典のⅯ氏の記事は昔語り52年10月

号11pに掲載されたものとK氏が書か

れた昔語り52年11月号5p~7pに掲

載されたものです。
目倉谷の伝承で一番古いものは垂仁

天皇の御世、天皇が重い眼病を患った

ときにこの地の豪族、物部真椋連

(モノノベノマクラムラジ)、その一族の

物部兄奇が目倉谷の清水を天皇に献

上し治療したところ見事に完治したとの

ことです。その功で物部真椋連・物部

兄奇は天皇より巫部(カンナギベ)の姓

を賜ったと言います。物部真椋は子孫

は曽我氏とともに古代大和朝廷の大黒

柱となる物部氏の祖先にあたります。

この地に残った巫部の姓を賜った一族

はその後、神理教の官長を務めていま

す。また時代は戦国時代末期、豊臣秀吉

が九州侵攻をした際に目倉谷で休息し、

ここの清水でのどを潤したと企救郡誌に

書かれています。また昭和になってから

は旧秋月街道(香春街道)の休憩所とし

てお茶屋が置かれ旅人の喉を潤したと

言われていますがこのことは別の機会

でお話しできたらと思います。

以下は三谷昔語りに書かれた目倉谷

の記事のサムネイルです。クリックすると

拡大するので興味のある方はお読みくだ

さい。

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

上の4つが三谷昔ばなしの記事のサムネイルです。

 

以下は4,5年前の目倉谷の様子です