石原町(古くはイシワラマチと発音

していたがここではイシハラマチと

呼びます)の名前の始まりは文献

等では確認できませんが江戸時代

に旧秋月街道の宿場町として、そ

の後火災により宿場町の機能が出

来なくなり半宿場であったころに呼

ばれていたのは確かです。ではい

つから石原町と呼ぶようになったの

か。説はいくつかあるようで私は母

から石原町は旧322に沿って発達

し特に西側は中谷との境の山地の

谷筋からの扇状地状に土地が出来

ているので、「砂礫が多く石の原っぱ

のようだ」といわれそれで石原町に

なったと聞きました。実際私の家の

敷地は少し掘り返すと小石が山のよ

うに出た場所で説得力のある話だと

思いましたが、東谷の昔話を集めた

三谷昔語り昭和55年7月号(通巻

38号)に石原町の由来が書かれて

いました。要約すると石原町の4組の

OM家のご先祖に著名な獣医の方が

おられ、小笠原侯の前の藩主であっ

た細川忠興侯の愛馬が重い病になっ

たのをOM家のご先祖の獣医が見事

に治癒させたと称賛され、褒美に当時

居住していた嫁菜ヶ原(ヨメナガハル)

を当時のご城下と同じく地名に町

(マチ)と呼ぶことを許可いただきたい

申し出、認められ、以降、石原町と呼

ぶようになったという事です。1640

年代の前半のことと言いますから徳

川幕府が出来て間もなくの頃の話と

思われます。このことは現在のOM家

のご当主のお父上が一族である新屋

のOM家の現当主のお父上?に

(事実関係要確認)一族の伝承として

伝えるために書いたものを残されたと

と昔語りには書かれています。

江戸時代当時ご城下にしかない

○○町という地名を頂いた名誉として

伝えられています。

石原町村は明治になって東谷村に統

合されても石原町と言う名は残り現在

も石原町という住居表示の町内名が

使われています。

以下のサムネイルは昭和55年7月号の

石原町の由来の記事です。クリックで

拡大して読めます。