小倉南区道原の奥、紫川上流の鱒淵

ダムは昭和47年にそれ以前にあった

頂吉貯水池と福智山貯水池を統合す

る形で新たに建設され北九州市の水瓶

として機能しています。福智山貯水池の

方は鱒淵ダムに完全に吸収されて普段

は湖底に沈んでいます。極端な干ばつ

で水位が下がった時だけ堰堤の一部が
あらわれることがあるだけです。一方の

頂吉貯水池の方は鱒淵ダムを建設する

ときに旧堰堤を拡張して新たに堰堤を作

ったので下流の鱒淵堰堤と二重構造に

なった珍しい作りです。頂吉ダムより下流

の鱒淵ダム堰堤迄の部分が旧頂吉集落

の本村と呼ばれた場所で小学校などもあ

った集落の中心地でした。今は碧の湖水

の下で静かに眠りについています。頂吉

村のことは湖水に沈む前に小倉郷土誌

会が詳細な調査を行い「頂吉」という書籍

にまとめています。私が今調べている二

市一郡新四国霊場のことなどの記述もあ

り調査に役立っています。

 

 

 

 

頂吉ダム堰堤の標識です

 

 

上流側の頂吉のダム湖です

 

 

 

下流側の鱒淵ダム湖です。湖底には頂吉の集落の中心部が沈んでいます。