二市一郡のお堂も残りを20%を切って

きたのですが逆に情報が少なく新たな

発見が難しくなっているのですが、それ

でも何かの拍子に芋づる式に次々と見

つかることがあります。今回は西谷の古

川の郷土誌の資料をきっかけに次々と

新しいお堂が見つかったので順次ご紹

介したいと思います。一番目は小倉南

区下南方の68番奥の院旭日寺です。

ここの場所は古川の郷土誌にあった
平成25年4月の最後の千人参りでお

遍路されたお堂に下南方という記述が

ありました。下南方は一町目と二丁目

の狭い地域などで調査も比較的やりや

すいと考えスマホのマップで寺院の卍

マークを探したところ、一丁目の東の山

裾に卍マークを見つけました。名称は旭

日寺とあります。この場所は大体の見当

のつく場所で寺院のある場所ではなく墓

地のような場所でした。今までの経験で

このような場所の卍マークは地域の集落

の納骨堂かお堂の可能性が高いです。

現地に行くと民間企業の裏山辺りでした

が民間企業の敷地の横に細い道が山裾

へ延びていました。さっそく小道を進み山

裾の斜面を少し上ると果たして二市一郡

を示す白いプレートを掲げたお堂を見つ

けました。68番奥の院旭日寺でした。

 

 

小倉南区下南方2丁目の会社の裏山裾で新たなお堂が見つかりました、

 

 

 

 

 

 

 

民家と会社の間の細い道を進みます

 

 

山裾の道をさらに進みます

 

 

 

やがて正面に二市一郡のお堂が見えました。

 

 

 

第68番奥の院南方旭日寺のお堂でした。