中谷の谷筋の最深部は昭和48年に
鱒淵ダムの完成とともに44戸の集落
のうち25戸がダムの底に沈み住民方
は移転せざるを得ませんでした。多く
の神社仏閣もダムの完成とともに水
の中の異世界へと転移しました。私
がこのブログで連載している二市一
郡新四国霊場のお堂も運命を共にし
たものと思っていましたが、その後の
調べでダム湖への水没を免れたお堂
が2ヶ所確認できました。一か所は
以前紹介した上頂吉の高倉神社後
にある観音堂と今回ダム堰堤の直下
の下頂吉の旧道沿いにあった念仏寺
のお堂です。企救郡一揆の進路を追
った記事の中で旧道沿いに念仏寺
のお堂の写真が掲載されていました。
念仏寺のお堂の存在は私も聞いて
いましたがダム湖の底に沈んだと思い
込んでいたのでうれしい発見でした。
さっそくストリートビューで場所の特定
を試みましたがどうしてもそれらしきも
のが見つかりません。それでe-bike
で現地に飛びました。嫌な予感がしつ
つも現地で探しましたがやはり見つか
らず代りに、真新しい囲いで囲まれた
スペースを見つけました。ちょうど地元
の方が通りかかったので尋ねると、や
はりお堂の跡地で昨年撤去されたとの
ことです。ご本尊などはどこかのお寺
に預けられたとのことでした。先日も
横代の個人邸のお堂が撤去されて無
くなりましたが、今後こう言うケースが
増えそうです。今回はたまたま昔の写
真が残っていたのが幸いでした。
井出ヶ原橋を渡ったらすぐに右の旧道に入ると水没をまぬがれた下頂吉の集落があります。
写真の前方右側に84番念仏寺のお堂がありました。
真新しい囲いの場所に昨年までお堂がありました。

ネットに残っていた念仏寺のお堂の写真です。