島村志津摩は幕末期の小倉藩の若き

家老で第二次長州征伐の折、譜代大

名として九州の幕府軍の先鋒として関

門海峡を挟み長州軍と直接戦を交えま

したが近代装備を固めた長州軍に圧倒

されながら、金辺峠に立てこもり積極的

にゲリラ戦を指揮し、敵将山縣狂介(後

の有朋)を簡単せしめた猛者です。

要覧97ページから101ページにかけて

は彼の幕末の小倉戦争の様子が詳しく

書かれています。
この時の戦で小倉藩は自ら城を焼き田

川郡の香春町に退いて金辺峠を前線基

地にして精強な長州軍と対峙したわけで

す。この戦では東谷を含む三谷各地は

戦禍にあい村民は苦労が多かったよう

です。
この時の戦がきっかけで、ご一新の後も

廃藩置県まで企救郡は長州の管轄に置

かれ、それも遠因で明治二年の企救一

揆につながります。