東谷要覧の後編部分は東谷の神社
仏閣、名所旧跡などが開設されてい
ます。特に呼野集落の東西の山塊
では奈良時代から金銅の採掘がお
こなわれ江戸期中期まで盛んに掘
られていました。その後鉱脈が細り
衰退していきましたが明治になり精
錬法も発達したことから昭和初期ま
で吉原鉱山が採掘を続け、その後は
戦後、昭和の40年代前半まで日本
磁力選鉱が操業していましたが今は
廃山になっています。私は小学校の
6年の頃当時はもう、ほとんど操業し
ていませんでしたが鉱石の残滓捨て
場のズリ場で金色に輝く、黄銅鉱や
孔雀石などを採取した覚えがありま
す。今は鉱山の大部分が草に覆わ
れ半ば廃墟化しています。





旧吉原鉱山の石碑です


今の吉原鉱山跡の様子です