主編の2回目です。今回は(五)から(六)で人情・

風俗、戸数・人口で(五)の人情風俗に次のような

記述があります。
旧藩時代より金・銅の採掘業があり明治になり銅

山業の復活や石灰岩採掘で労働者の移入もあり 

「これらの影響のため他の山間地に比して
文化程度の進みたるに比例して比較的農村として

の純朴さを欠ける嫌なきにあらず。されど村全体を

通ずるときは農村としての特質を失わず」


と書かれています。中々言い得て妙で今に通ずる

東谷人の気質を表しているようです。戸数・人口は

大正12年末の調べで戸数753、人口男女合わせ

て4183人となっています。ほぼ100年後の現在

人口は当時とほとんど変わらない状況でほぼ足踏

み状態です。近隣の旧企救町や曾根村が大きく発

展しているのに比べると後れを取っているのは否

めません。逆に言えば古きよきものも多く残ってい

るという事でこれからはこれをうまく生かすことが
大事な気がします。


 

 

 

 

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