暑い!
夏といえば また終戦記念日が近づいてくるな。昭和100年、戦後80年。
オレたち戦争を知らない世代にとっては、アメリカ軍を迎え撃つために肉弾攻撃隊に選ばれた?など貴重な竹さんのハナシを 大谷は打たないし、山本は打たれるからヒマに任せて再録。
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20年前の2006年11月のブログ「カルヴァドス」はオレ57歳、竹さん87歳。
竹さん、87歳。
オレ達より随分と年上だが、皆、親しみを込め、苗字の一字をとってこう呼んでいる。
昔、S会というゴルフの集まりがあり、その頃でも会の中では一、二を争う年寄だった。
「まあ、順番から言ってもこの中で最初に逝くのは竹さんだな」
葬儀委員長と友人代表と、葬式の挨拶まで決まっていて、
「竹さんのゴルフは とびきりのヘタだったったけど、いい人でした・・・」
ちょっと転んでも骨折をし、ガンだといっては入院を繰り返していたが、そう言っていた竹さんの悪友達が、オレからみれば大先輩達だったけど、次々と亡くなっていくのに、竹さんはシブトク生き残っている。
小さな出版社をやっていたが息子に譲り、今は「囲碁」に凝っているが その碁はゴルフ以上の大ヘボ。
S会のメンバーが皆、年をとり、ゴルフから碁の会に重点を移した時、自分もやりたいと六十の手習いで始めたのだ。
月例でやっている囲碁会の勝率も谷繁の打率以下だが、大風呂敷を広げた碁で、上手もたまに、これに引っかかって負ける。
竹さんに負けたら、その月の優勝は難しい。
竹さんに孫が生まれた時に「銀河」、その次の孫に「宇宙」と名づけて悦に入っていて、そんな名前をつけちゃっていいのかとヨケイな心配をしたが、その孫達もとっくに成人している。
まだバリバリだった頃、銀座のスミっこにあったバーで、ショットグラスの酒をカパッ、カパッとアオりながら
「これはノルマンディーのカルヴァドスという港町のリンゴから作った酒だ」
と能書きを垂れながら酔っ払っていたが、今は酒もやめて
「長生きも芸のうちだ」
とうそぶいている。
ふざけた話ばかりしているようで、中身はちょっとインテリのところがあり、
オレたちはそこが好きなんだな。
来年は竹さんも米寿だな。どこかで囲碁を兼ねた”米寿”のお祝いの会を予定しているけど、それまでは生きていて欲しいというのが、我々の願いだ。
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次は翌2007年3月の「悪だくみ」
明日は、東京九段で囲碁会。
終わったあとでメンバーの一人、竹さんの米寿を祝う食事会をやろうということになっている。
他のメンバーの腕前は、似たり寄ったりで、変わりばんこに1着、2着になってるが 竹さんは今まで、一度も賞金を稼いだことがない。
一人だけ、桁違いのヘボであるが、ハンデ(最初に9目の石を置いてから打つ)があるので5回に1回ぐらいは金星をあげる。
竹さんに負けて、優勝した奴はいない。
いつも参加費だけ払い、負けて当たり前とひょうひょうとしているが、たまに勝つと、ちょっとびっくりした顔をして
「勝っちゃったの?」とうれしそうだ。
オレ達は考えたのだ。
明日は、88歳のお祝いに、竹さんに優勝してもらおう。
オレ達3人がわざと、というか、わざとらしくなく自然に負ける。
残りの二人の先輩には、ちょっと云いにくいので、ガチンコでやってもらうが3勝が確定してれば、悪くても2着までには来て賞金にありつけるだろう。
今日、電話で悪だくみをしたが、最後に
「裏切るなよ!」といいやがる。
大丈夫だよ。よほど信用がないな。
明日が、楽しみだが他の先輩二人が1着、2着に来る可能性だってあるわけで、どうなることやら。
黄色の石楠花が咲いた。
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そして翌日 2007年3月の「私のマンホール」
「優勝できて、本当にうれしいです。 だけど、みんながワザと負けてくれたことぐらい、ちゃ~んとわかってます。 でも、賞金はありがたく頂戴いたします」
昨晩、見た夢ではこうなるはずだった。
ところが、現実は危惧してた通り、血液型がABのボルボが、竹さんには予定通り負けたものの、他を全勝してしまい優勝。竹さんは、ガチンコの勝負の人たちに負けて、準優勝になってしまった。ったくAB型というのは・・・
それでも開闢以来のことと大喜びで、こちらも、準優勝の方がもっともらしくていいかと納得し、米寿のお祝いの会に席を移してからも 家に帰って、奥さんに自慢するからと、準優勝の袋をうれしそうにポケットに仕舞い込んだので、本当のことはとても言い出せずじまい。
12年物の紹興酒の”上澄み”を飲みながら、竹さんの戦争の話に・・・
「私はね、東京を防衛する高射砲部隊にいたんですよ。 それが戦争末期になって撃つ玉がなくなってきてね~、 それで、皇居を守る、肉弾攻撃隊に選ばれたんだ」
「選ばれた~?誰も見てね~からな」
幹事長がまぜっかえしても
「うるさい、通称ニッコー隊、勇敢な奴が行くんだ」
じゃ、余計怪しいじゃない。
「いいんだよ、ほら、そこの靖国通りのマンホールの中に隠れてて、 敵のM4戦車がきたら、飛び出して行って地雷を放り投げるんだ。 地雷はね、磁石になってて戦車にくっついて爆発するというわけ」
「マンホール?」
「そう、一人一人、マンホールに隠れるんだよ。アメリカ軍が千葉の銚子に上陸して、上野を通って九段の坂を上がって宮城に攻めてくるのを想定して、訓練をしたんだよ。マンホールのフタをちょっと開けて、相手が来るのを待つんだ。訓練だから、リヤカーの上に木で作った模型の戦車めがけて地雷を投げつけるんだ」
「ウソみたいな話だね~?そのマンホールって今でもあるの?」
「あるある、ありますよ。”私のマンホール”、 靖国神社の鳥居の前を左に行ったところ、今度、教えてあげるよ」
別に教わらなくてもいいけど、私のマンホールって言い方もすごいね。
本物の戦車が坂を上がってきてたら、米寿のお祝いもなかったわけで、今度は卆寿のお祝いをしてくれと、ご機嫌で花束を抱えて帰っていったので、まあ、作戦は成功したといってもいいんだろう。
このまま元気で、無事に卆寿を迎えたなら、その時はバラすかな。
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それから2年後の2009年3月「八百長」
八百屋の長兵衛さんが、相撲の親方と碁を打つ時、野菜をたくさん買ってもらおうと、わざと負けた、という ご存知八百長の由来も、囲碁の勝負から。
わざと勝つのもむずかしいが、わざとらしく見えないように負けるのはもっとむずかしい。
囲碁の仲間というか先輩に、竹さんという一人だけ飛びぬけたヘボがいて どのくらいヘボかというと、上の写真のように始まる前に9子を置いてその上、コミを20目もらっても5回に1回ぐらいしか勝たない。
それでもみんなと碁を打つのが楽しいらしく、毎回参加費を払いに出てくる。
四月に90歳になる竹さんのお祝いを兼ねて、丹沢のふもとの温泉旅館で一泊囲碁会を計画しているが
どうする?
「又、やんなきゃしょうがね~ダロ」
米寿のお祝いの時に、メンバー6人のうち若いほうの3人で示し合わせて 竹さんにわざと負け、準優勝してもらった。
隣で竹さんと打ってた奴が、大げさに”あ~、しまった~”などとやってるのをニヤニヤしながら聞いてたが、自分の番になると、とてもそんな演技はできず、かといっておかしいと気づかれても困るのだが とにかく勝たなくていいんだから気が楽だった。
本人は人を疑うことを知らない人で、
「君達もヘタになったね~」と
単純というか純粋に喜んでたが、まあ、そんくらいでなきゃ、あんなに長生きしね~な。
本当は、そのあとの食事会でバラす予定だったが、あまり喜んでるのでヘタにバラしてショック死されちゃ困る、と言い出せないまま。
あれから2年間、一度も優勝、準優勝にからんでないし、ほとぼりも冷めた頃だ 又、喜んでもらおうとたくらんでいるのだが、心配は、春分の日の20日、竹さんが現地集合の旅館まで無事に到着できるかどうかということだ。
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そして2日後の決戦の地「陣屋旅館」
↑囲碁や将棋のタイトル戦がおこなわれる陣屋旅館、松風の間
ここは昭和27年の、将棋の王将戦を舞台にした いわゆる「陣屋事件」の場所でもある。
挑戦者、升田幸三は雪の降る日に旅館の玄関まで来たが、呼び鈴を押しても、ダレも出てこず、名人木村義雄との対戦を拒否して帰ってしまったというもの。
呼び鈴が故障してた、名人に香オチで指すのが憚られた、主催する毎日新聞と朝日新聞との争いの背景もあり、諸説紛々で真相はナゾのままだが、後日、升田は自分の非礼を詫び、上の写真の色紙を持って訪れたんだという。
さて、ワレワレのメイ人戦、竹さんは緒戦から、ヤラセ、ガチンコ、ガチンコと3連勝!
「竹さん、絶好調だね~」
「蒙古の横綱よ、負ける気がしないね~」
調子に乗りやすいタイプだとは思ってたが、あとはヤラセが2戦残っているだけ。
いくらなんでも5連勝させたら、気づくかもしんね~と、オレが悪役になって一回勝ち、予定通りに同点決勝で負けて竹さんの優勝。
作戦は大成功裏に終わった。
ごきげんの朝、早く起きて温泉に入るというので
「一人で大丈夫?あとで行くから・・・」
「大丈夫ですよ、年寄り扱いするな~!」
と言って出て行ったが90歳ならリッパな年寄りだろ。
ところが、少したってから行くといない。
昨晩と今朝で、男湯と女湯が入れ替わっていたのを知らず、女湯のほうに入っていたらしい。少しも大丈夫じゃね~な。
昨日、間違って飲んじゃって今朝の分のクスリがないといいながら、朝食を山ほど食べて「もう、今日は食べなくていいな」
ほころび始めたサクラを見上げながら
「いい旅行だったね~、又来年、竹さんが生きてたら来ような」
と、それぞれの帰途についたのでありました。
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翌2010年の「陣屋事件」
昨晩の総当りリーグ戦は、夜中の12時過ぎての熱闘。
かろうじて3着に残り、参加費分を確保。
今朝は、朝飯前からチェックアウトの時間まで、トーナメント方式でもう一勝負、ちょっと空いた隙にひとっ風呂浴びようと、昨晩は3回も入った勝手知ったる温泉へ。
昨日は一人も会わなかったが、今朝の脱衣所には三っつの籠に浴衣が脱いであって 先客がいるらしい。
ガラス戸を開けて中へ入ると、身体を洗っていた、ヤケに背中がスベスベしてる奴が振向いて、目が合った。
最近の若いのは、随分かわいい顔をしてるな~と思いながら椅子に座り、お湯をジャーっと出したら、逆方向から
「今朝は、ここ、女性専用ですよ!」
エッと振り返ると、アタマにビニールキャップを被ったおばさんが二人、お湯の中からにらんでる。
朝と晩で、女性用と男性用のお風呂を入れ替えるシステムは、去年、竹さんが間違えてみんなで大笑いしたのに・・・
「ワザと間違えたんじゃないの?」
オレもね、そんだけの根性があれば優勝してるよ。
「竹さんだって、脱衣所で気がついたんだぞ!」
「失礼!」と言って、大あわてのマヌケな格好で飛び出したけど、冷静になって考えてみると、見たというより見られた?
ま、なんやかんやあって、トーナメントは優勝して、結果オーライだな。
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そうして2011年8月、ついに竹さんはアッチの人になってしまった。
夏の終わりを告げるようなカミナリが鳴って、喪服を着るには丁度いい気温に下がった昨晩は、竹さんの通夜。
こよなく酒を愛し、女性を愛し、遊びを愛した竹さん、碁仲間が集まった中に、竹さんのポン友の会社の経理にいた女性も。
「ダイジョウブ?昔の彼女が来たと間違われるんじゃない?」
数えでいえば92歳の大往生で湿った雰囲気はなく、精進落としの席では、どなたが「銀河」でどなたが「宇宙」?と尋ねて、親族らしき人たちと初対面。
竹さんに孫ができたとき、「銀河」や「宇宙」と名づけてエツに入ってた赤ちゃん達も、もうかわいく成人してて、「宇宙」って女の子だったの?
「コスモ」って読むんですよ、名前とっても気に入ってます。
すっかり暑さがどこかに行ってしまった朝、ブドウとフジがグジャグジャにからみついた棚に 虫食いだらけの一房、一応無農薬だからって、なにも手入れしてねェだけだけど。
今日はこれから葬式、さっ、サイゴのお別れに行って来よう。
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竹さんが亡くなってからでも、すでに15年か。
戦後 先達たちがエイエイと築いてきたルールや世界秩序は壊れてく一方だが、竹さんにはまだ遠く及ばないオレの気になるのは、いつになったら今年のツユは明けるのかということ。