ジジババコンペの連中と、千葉県ラ・ヴィスタゴルフリゾートへ。
アクアラインの吹流しはダランと垂れ下がって、今日は風がなくていいぞ。
南国風の椰子の木が立ち名前もシャレてるが、初めて来てみりゃここもアコーディア傘下で、 バッグの積み下ろしはご自身でやってください。
74歳のコンペの幹事と、今日が今年72回目という79歳の声のでかいバーサンに、同じく79歳のTさんの4サム。
霜の降りたグリーンに備えてちゃんとパット練習もした。
↑ 2つ年上のTさんとはコンペで何度か一緒に廻ったことがあるけど、プライベートでは初めて。
”Tさん、ご出身はどちら?”
「広島だよ」
”エッ、原爆は?”
「生後六ヶ月の時に被爆したよ。」
爆心地から1.8Kmのところに自宅があって、ハンモックに寝かされていたがグズって丁度母親に抱かれてるところにピカドン。
落ちてきた屋根の下敷きになった母親のその下にいて助かった。幸いに母親も父親も生きていて すぐに呉の叔父の家に疎開。放射能の灰を浴びる前に行ったのがよくて、爆撃のあとで広島に入って放射能の二次被害に遭った人がたくさんいたらしいと。
それからず~と医療費はタダだからね。被爆者だから毎月三万五千円もらってたけど、60歳の半ばにガンにかかって、わかってから手術をして寛解するまでの10年間は毎月15万円、全部で2千万近くもらったよ。今はガンが治ったということで健康手当てが月5万円。
ガンは原爆のせいだったのか?と聞いたが それはわからないけど 関係なくお金はちゃんと支給されたって・・・
ものごころついた頃には広島の町もキレイになってたと言うが、オレと2歳しか違わない人のナマナマしいハナシを聞いてびっくり、というか原爆に直接遭った人のハナシなんて初めて聞いた。
カートの床がやけに滑ると、スパイクをトントンすれば靴裏の霜がそのまんま剥がれて、グリーン上も大苦戦。
ハーフのベストにニアピン4っつのニギリ、みんなにハンディを上げていて午前中は最終ホールまで幹事に一打マケ。
他は圏外だろと思ってたが、
ババア、じゃなくてばーさんが2打目をユーティリティで直接カップインのイーグル!
オイッ。どうなってんだ?計算が追いつかず、オレと同じ3オンの幹事は3パットのダボ。かろうじて2パットで納めて計算してみたら。あっぶね~、バーサンには1打勝ち、幹事長とは同スコアのカウントバックで冷や汗もんのハーフベスト。
昼飯を食いながらTさんにハナシを聞けば、デザイナーなどの仕事をしながら今は福島県のの二本松の菊人形の製作に携わって現役なんだとスマホの写真を見せてくれた。
これまで人生の岐路に立つこともあったが 一度は死んだ身と思えば どんなことでもできるよと・・・
ニアピンは皆一っ個づつ獲得。
乗らない場合はセカンドニアピンだが、サイゴの4個目のショートはダレも乗らず Tさんが2打目を3mに付けたのが一番近い。
あの内側にと、エッジから打ったサンドは コロコロ転がって5m。決して情けを出したワケではないけど。
国からはそうやってもらって、県や市からはなにもないんですか?
「横浜市はバスの運賃がタダ。」
年寄りはみんなタダでしょ。
「それでもいくらかは払うんでしょ?私の場合は全くタダ」
大きい松ぼっくりを拾ってツリーに飾るのにいいだろと、マゴ達へのオミヤゲ。
ナニにプレゼントしてもらったウエアも3ホール目から脱いでそのままで、45,48の93は朝錬の甲斐なく3パットを5回もしたけど風ないゴルフ日和、Tさんからは500円をもらって、金に色はない?これ国から来たやつじゃないだろうな。