77といってもゴルフのスコアじゃなくて歳!
オレもいつの間にか歳を重ねて 今日が77歳の誕生日、世間で言う喜寿っていうヤツ。
朝、落ち葉を掃き集めながら 自分でもビックリするくらいの歳になって、よくここまで なにはともあれ無事に来たな~と。
ネコやイヌと違って、オレが一番手が掛かると言いながら炊事洗濯、なにからなにまで家の中のことはすべて面倒を見てくれてるナニのおかげと感謝しきり。
今は近くにマゴ達も住む平穏な日々だが、振り返ってみりゃ人生ってのは 良いことも悪いこともフィフティーフィフティーだなってつくずく・・・
まだ小さい頃にオヤジが田舎で事業をしくじり、一家で東京に出てきたのは10歳の時、鍋底景気と言われた不況真っ只中の頃だった。
これは後にお袋から聞いたハナシだが、まだ信州にいたころ お金がなくてカレーに入れる肉が買えず、代わりに入れた油揚げを肉だ肉だといっておいしそうに食べてたと・・・
今でもお稲荷さんが大好きなのは、その影響大有りかもしれないな。
東京に出てきてからは 大田区の第二京浜沿いの小さなアパートに両親と妹二人と家族5人で住んだが、あのころは廻りにも同じような境遇の友達がたくさんいて、自分のところは特別ビンボーだなんて感じたこともなかった。
が、一度だけ、小学校の授業が終わって帰るときに雨が降りだし、家には五人家族なのに傘が三本。下駄箱のヨコでぼ~ぜんと雨の降るのを眺めてたら、ずいぶんと時間が経って 向こうから傘を手にお袋が駆けて来る姿が見えた時はうれしかったな。
長嶋のデビュー戦を友達の家のラジオで聞いたのもこの頃、金曜の夜は、お袋にもらった貴重な五円玉をにぎりしめアパートの前にあった食堂でコーヒー牛乳を買い、大勢の大人たちに混じってTVの力道山に夢中だった。
まだ半分くらいしかできてない建設中の東京タワーも見たオボエがあるし、アパートの瓦屋根に薄く積もった浅間山噴火の火山灰を集めて学校に持っていったこともある。貧乏はしていても、みんなイキイキとしてたな。
皇太子と美智子様の結婚パレードもお袋に連れられて皇居前広場で見物した。いまだに、なにかあると出かけたがる原点は アレだったのかも。
その後も紆余曲折いろいろあったけれど、今は昔から住んでるようなカオをしてヨコハマに居つき、只今、階下ではマゴたちがお祝いのケーキを絶賛製作中?・・・ナニからも冬用のゴルフウェアーをもらって もうほとんど人生五分五分、他に望むことなんかなにもないが、
まあできれば ゴルフで年齢以下のスコアで廻るエージシュートというものを一度はやってみたいもんだ。
38,39で廻ればいいんだろ?ハーフだけならなんとかなりそうだけど、両方そろえるのはかなり難しそうだな。
まあ達成しちゃったら五分五分が崩れそうだから 夢のままで置いておくほうがいいのかもな。