昨晩6時近くになって やっと幹事から今日のコンペ中止の連絡があって、ゴルフ好きの幹事も天気予報を睨みながら粘ってが ジーサン二人からやめると連絡があってギブしたようだった。
今日のコンペも明日のゴルフも中止になって手持ち無沙汰に空を見上げてたが、昼ゴロになって雨がチラチラ雪に変わり、鎌倉でも行って雪の降るのを見てくるかと言えば、今日も明日も留守のつもりだったのに居座られるのはかなわないと思ったか、どうぞどうぞゆっくりしてらっしゃいよと追い出され、
山に行くときに履いて行くトレッキングシューズに山用のダウンで、スカ線を北鎌倉で降りていつもの勝手知ったるコース。
見物客のいない明月院、「滑りますのでお気をつけて」と混みあってる時には言われないようなヤサシイ言葉をかけられ、
紅梅に氷雨。
石楠花のつぼみもまだ固く、
白梅にもミゾレが降りかかって凍えてる?
どうしようかな~、時間はあるし、このあと源氏山まで山道を登るか。
ちょうどいいや。
あの 源氏山に建つ葛原岡神社に寄って、日野俊基の辞世の二つの歌はどちらが先でどちらがあとに詠まれたのか確かめてこよう。
鎌倉幕府倒幕の計画がバレ、 葛原岡で斬首された日野俊基の墓のヨコには
「秋を待たで 葛原岡に 消える身の 露のうらみや 世に残るらむ」
という、辞世とされる石碑が建っているが、
実はもう一つやはり辞世だという漢詩が残されていて、
「古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清」
『古来より「死もなく生もない」という言葉がある。自分も精一杯頑張ったが、残念ながら、万里の果てに雲が尽きる様に、今は万策尽き果て、この様な結末となったが、理想の為に力尽きたのだから、生や死はもはや問題ではなく、少しの恨みもない。今は、長江の水が清らかな如く、自分の心は一点のけがれもなく、さわやかである。』
片やウラミツラミ、片や達観した、まったく正反対の二つの歌が残されていて、一体どちらがいざ処刑される時に詠まれたのか ちょっと調べた限りじゃわからず、もしかしたらあそこの宮司なら知ってるんじゃないか?
50年偽名で逃げていて、死ぬ時は本名に戻りたい・・・イザという時には本心が出るもんだろうけど、日野俊基卿の場合はどっちだったのかという下世話な興味だけど、こんな雪の日に行って聞くのもおもしろい?
明月院は、あじさいの頃なら大賑わいに参道を上がれば、
悟りの丸窓の前で 雪かきをする坊さん。
障子は申し訳程度に開いている。
反対側の枯山水は雪景色。
こういう景色を見ると京都を思い出すな。
学生時代、左京区の下宿からほど近かった円通寺に、雪が降った朝は歩いて庭を観にいったもんだ。
花地蔵。
お約束の苔。
蠟梅。
明月院を出て、浄智寺の磨り減った鎌倉石の階段を上り、
脇の山道を源氏山まで。
こんな天気の日にはダレ一人通らない道を、
慎重に、滑らないようおそるおそる、一歩一歩・・・
葛原岡神社の鳥居の前には、もうブルーシートが敷かれて雪対策。
去年の11月に来た時も咲いていた冬桜が、まだ咲き残っている。
ミツマタのつぼみは、あと一ヶ月か?
こちらは、早く咲くので有名な葛原岡の桜だな。
社務所に行くと、オジサンが窓から顔を出してこんにちはというようにお辞儀をしてくれ、桜をほめたあとでちょっと聞きたいことがあるというと、奥で書き物をしてるらしいもう一人のオジサンも聞き耳を立てたようで、ちょうどいいやと 辞世と言われる歌はどちらが先かと言う例の質問をしてみたわけさ。
そうしたら、ウ~ンとうなって それはちょっとわかりませんけど今度調べておきます?
奥のおじさんも黙ったまま手を動かしていて、まあ 無理やり白黒つけることもないハナシか。
社務所からちょっと歩いた先に、
日野俊基の墓があり、
帽子を脱いで手を合わせ、
その先に行くと、源氏山公園は真っ白。
頼朝の像を見上げ、
裏の化粧坂(けわいざか)をそろそろと下って、
降りた先を左折すると、
海蔵寺。
本堂の屋根は雪で薄化粧されて
また少し降ってきた?
おもしろい踏み石の模様。
帰る途中の八角堂、11月にはリンドウが活けてあったけど、今日は水仙。
傘の雪が重い!
切り通しの一つ、亀ヶ谷坂を上がり、
駆け込み寺の門前抜け、
霙がまた激しくなってきた円覚寺を右に見て帰れば、
横浜の方が積もっていて、庭にはマゴたちが作った雪ダルマが鎮座していた。