縁の先の踏み石に檜の葉っぱが散り、初冬の柔らかな日差しが当たって 近頃はロクなTVがないけれど、こんな朝は 週初めに見たNHKBSの ちょっと良かった番組を思い返してる。

 

アナザーストーリーズ 金閣炎上 若き僧はなぜ火をつけたのか

今から71年前、京都の金閣寺は寺の修行僧 林承賢(本名養賢21歳)の放火により」焼け落ちた。彼が取調べで語った「美に対する嫉妬」と言う言葉に触発された三島由紀夫は「金閣寺」をモダニズム的な耽美主義の観点で執筆、林養賢と同じ若狭の寒村の実家がお寺、自らもお寺の小僧経験があり 同様の境遇で育った水上勉は 三島の表日本からの視点とは全く異なる裏日本の暗い生活風土と仏教生活内部の理不尽な修行生活の視線で「金閣炎上」を発表。

 

 

しかしいずれも、弟子に金閣を燃やされた住職 慈海のことを 三島は色欲におぼれた老師と描き、映画でも中村鴈次郎演ずる住職が夜の祇園を女連れで歩いてるところを養賢に見られ「あとをつけてるのか!」とあのギョロメで叱責して睨んでるし、一方の水上もケチで夜学に通っていた養賢に小遣いもロクに渡さなかったかのように描いた。

 

 

だが実際の慈海は、「弟子のしつけがなってないからこんなことになってしまった」という周囲の非難に反論することもなく 金閣が消失したあと街に立って托鉢姿で再建のための寄付を集め 今でも金閣周辺の住民はすでに亡くなっている慈海を”老師”と呼んで悪く言う人はいない。

 

金閣と共に焼け死ぬ覚悟だった養賢は死に切れずに裏山に逃げたが捕まり、牢屋に入ってるところに慈海は本や身の回りのもを届けたという。

 

養賢の実家は京都舞鶴市の貧しいお寺、父は病弱で早くに亡くなり母は養賢に立派な住職になって戻ってこいと金閣に奉公に出したが、養賢は生まれつきのドモリもあり夜学もうまく行かずに 一度母の元に戻ったが母は頑として玄関を開けずに 傷心の彼が京都に帰ったというのも火を付けた遠因にあったか。

 

母は牢獄にいる養賢に面会に訪れるが養賢は会いたくないと追い返し、母は帰りの山陰本線から保津峡に身を投げる。

 

養賢は獄中から「私が間違ってました。とんでもないことをしでかしてしまい どうか許してください」と幾度も慈海に手紙を送り、慈海も養賢を許していたらしいというのは 普通の人間にはできない業だな。

 

 

 

サイゴに養賢と同時代の弟子が金閣の中の部屋を案内し、老師の慈海は小説を読んだか読んでないかはわからないが、それは名前の通りに慈しみの深いお坊さんでしたといい、牢獄を出てからすぐに病死した養賢と、自殺した母の、立派な戒名が付いた位牌があって 慈海はいつも一緒に弔っていたという・・・

 

学生時代に見た雪の金閣を思い出しながら、アナザーストーリーズらしいそんな初めて聞くハナシを聞いていた。

 

 

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