幕末の慶応二年一月、京都の寺田屋に宿泊していた坂本龍馬が伏見奉行の獲り方に襲われた世に言う寺田屋事件。そのとき、機転を利かせて龍馬を逃がしたのが「おりょう」さん。

その後、龍馬と結婚したものの死に別れ、明治になってから 勝海舟の紹介で仲居として働いていたのが この横浜の田中家。英語がよく話せ、ものおじしないまっすぐな性格がことに外国のお客さんに評判だったという。

 

広重の東海道五十三次の神奈川宿の絵にもこの宿の前身の旅館が描かれてるというから、この前の通リが旧東海道なんだな。

 

 

こんな良い天気の日は、もうそんなに多く残ってないだろうと思うから ちょっとサンポにでかけてくるわ。田中家の前を通り、ベイクオーターの船乗り場から船に乗って山下公園まで・・・

 

 

その前に、今日はマゴが遠足とか言ってたと思い出し、行き先の公園に寄り道したらいるいる。

帽子をかぶった小さいのが30人くらい遊んでいて、うちのはどこだ?と見回してたら似た様な「お下げ」がいて マスクしてるからよくわからないが、小さく手を振ったらキョトンとしている。

 

 

違ったかな?娘に電話して今日 着てった服、キイロのシマシマか?と聞くと白だよ。

「それよりそんなところでカメラ持ってうろうろしてると捕まるよ!」

 

 

 

10時半か~。ホントなら今頃4番ホールの打ち下ろしの左ドッグ、思いっきりドローを打ってランランランで残り80ヤードとか妄想しながら ゴルフができない身の不幸を嘆き、

 

 

 

秋の日の ヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し・・・

ヴェルレーヌの有名な詩だけど、この前TVを見てたら ナチ占領下のパリでラジオから場違いなこの詩が流れて これは連合軍が48時間以内にノルマンディー上陸作戦を決行するということをフランスのレジスタンスに知らせるための暗号だったんだってね~。

 

 

永遠に港に繋がれている氷川丸も、身の不幸を嘆くか?

 

 

 

それにしてもハラ減った。ハラだけは健康だ。

山下公園の目の前のホテル・ニューグランド、たしか1階に なにか食うところあったなと入ったが 8組待ち?

 

 

2階にもありますと ボーイさんに勧められて 階段を上がると

 

 

奥まったところに案内されて、へ~こんなところがあったんだ。

不定期にオープンし、幻のレストランと言われる「フェニックス」ですって、自分で言うか?

 

 

 

そんな大層なもの食うわけじゃないけど・・・

 

 

 

普段食べてる倍くらいの値段の ここのホテルで考案された日本発祥のスパゲティ・ナポリタンを食って 早々に退出してきたのでありました。

 

 

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