擬宝珠の大きな葉っぱが雨に濡れて、梅雨の走りの雨?
今年は梅雨入りが、えらく早いってね~。
山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし
放浪の俳人と言われる種田山頭火が、昭和8年に上の断章を詠んだ翌年の4月、我が故郷 飯田を訪れ 飯田には山頭火伝説というものが残されているという。
僧形乞食の風体で放浪漂白に徹した山頭火は、晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と書いているように、酒なくしてなにが人生みたいなところがあったらしいが、傾倒する同じような酒と漂白の詩人、井上井月(いのうえ せいげつ)全集を読み、「良い本だった、今までに読んでいなければならない本だった」と言って伊那にある井月の墓参のため、はるばる故郷の山口県から、信州伊那谷を訪れたんだそうだ。
昭和9年4月、木曽路から清内路を通り 思わぬ雪に逢いながら鳩打峠を越えて飯田に入った山頭火は、休む間もなく風越山のふもとにある旅館で催された句会に参加したが、そのムリが祟り熱が出て急性の肺炎にかかり市内の病院に担ぎ込まれて、一時は危ないという電報が打たれたほどだったという。2週間近く入院したその時に伝説が生まれたそうで、句会を世話した飯田の俳人は山頭火から聞いたハナシとして次の様に書いた。
「大雪で冷え切ったからだへ、伊那のうまい酒を注ぎ込んだ。急に発熱して、急性肺炎だと診 断され、大きい病院に入院した。それは有難いのであるが困ったことには病院では 、苦い薬ばかり飲まして、酒をちっともくれない。わしには酒が妙薬なので、一計め ぐらした。便所へ行って、便所の草鞋を穿いたまま、病院を脱走したのだ。 そして、まず、おでん屋へ入ってコップ酒を二杯ひっかけた。豆で。ところが急に元気になって、もとの山頭火になり、汽車でゴトゴトゆれて帰ってきた。」
マア、伝説というのはこういう風にして作られるんだな。実際のところは、もとの山頭火にはほど遠い状態で、それが証拠にここまで来てその先の伊那駅を素通りし、墓には寄らずに中央西線で山口に帰ったといい、井上井月の墓参はそれから5年後のことであったという。
飯田、伊那には、山頭火の句碑がいくつも建っているそうだ。
あの水この水 天竜となる水音
寝ころべば 信濃の空の深いかな
山しずかなれば 笠ぬいでゆく
山頭火がそんなに飯田とゆかりがあったとは知らなかった。今度帰った折には、句碑めぐりでもするかな。もっともこちとらは、まだあんな枯れた心境にはほど遠く 週末には雨、止めよ~と空に向って怒鳴ってる今日この頃・・・