
土曜日は高校の時の蹴球部のOB会。
オレ達をはさんで上下3年の卒年のOB15人が湘南台のリューヘイの店に集まった。
オレが高校に入ってブラブラしてた夏前、
リューヘイに 今 入部すればすぐレギュラーになれると誘われその気になり
11人ギリギリそろった 秋の大会で慶応高校と当たり0-10でボロ負け なんて弱いチームだ!
翌年、また偶然に慶応と当たったがその時は2-2の引き分け、オレたちの代は満更でもなかった?
最初は行く気がなかったが 今のうちに会っておかないと後悔することもあるんじゃないかと出かけ
店のドアを開け、ダレがだれだかわからない中、あ~~~っエンヤさんでしょ!
50年前とおんなじ真ん丸い顔が笑っていて、3年先輩で オレが一年のときにはすでに卒業してたが
なにかにつけてグランドにやってきては、別にコーチをするわけでもなく 面白い話をしちゃ皆を笑わしていた。
エンヤさんがキョトンとしているので名乗れば
「オマエか~、オレが覚えてるのは オレが杉浦の胸倉掴んで怒ったとき オマエがやめてくださいって
とめに入ってくれたんだよ。」
そんなこと、まったく覚えちゃいないが、ホトケのエンヤって言われてたくらいの穏やかだった人が怒ったのは
生涯に何回もない一回だった? その オレの一年下だった杉浦も10年前に死んじゃったんだって・・・
エンヤさんは大学で応援団長をし、落語とジャズが大好き。
確か、京都の大徳寺大仙院にもぐりこんでアルバイトかなんかしてなかったですか?と遠い記憶を頼りに聞けば
「そうそう、お茶なんかたてたことないのに、お客にお茶かきまわして出したり、和服の妙齢の婦人が来て
外の沙羅双樹の木を見て、どんな色の花が咲くのかって聞くんで え~、赤といいますかピンクというか白という
か・・・ で、どんな大きさの花が? え~、まあこ~んな・・・」
と両手で最初はどんぶり鉢くらいに大きさを作って そのうちだんだん小さくしていって・・・
婦人が帰ったあと、和尚さんにそのハナシをすれば 「お客さんは喜んで帰ったのか?」 「ハイ。」
「それならそれでいいんだ。」
それで、そのあとの50年はどうやって生きてきたんですか?
「どうやってってオマエ、 あっち行ったりこっち行ったり・・・」
え~、ず~っと放浪したまま?
「そうだよ、最初はアメリカに行って、まだ1ドル360円の時代だよ。それからヨーロッパに渡って、
アフリカぐるっと回って、帰ってきちゃ、また南米とか・・・その繰り返しでもう70カ国近く行ってるよ。」
お金は?
「そんなもの皿洗いしたりいろんなアルバイトしたり、ジマンじゃないが今まで一度も定職についたことないから」
奥さんは・・・
「一人に決まってるだろ!カンボジアに行った時は、あっちから歩いてきた現地のおばさんに合掌されたからな」
スペイン語とか もうペラペラ?「それがぜんぜん まあアイサツ程度ならね」
それだけアッチ行ったりこっち行ったりしてりゃ面白いこともあったでしょうね。
「ニューヨークのジャズを聞かせる店で、肩をトントンとされてさぁ 先輩!って言うんだよ。
だれかと思って振り向いたらマチイ!あいつIBMに勤めてたろ、丁度1年くらいあっちにいた頃でさ、
お金のないときにイヤなヤツに会っちゃったなって思ったけど しょうがないんで一杯ご馳走したよ」
マチイはオレ等の代のキャプテン、2年前に亡くなって葬式に行ったな。
11月にまた南米に行くと言い、気をつけて行ってきてくださいよと別れたけど
そういう人生もアリか。 ♪ ボヘミヤ~~ン だな。
夜九時過ぎに帰ってきて OB名簿を見せれば、アラ 随分亡くなってるのね。ダカラダイジニシテクレヨ
今朝は梅シロップを抱えて千葉。
アクアラインのトンネル入り口の渋滞の時間が だんだん早くなっている。
「なんだ、やっぱりキコリは来ねぇのか」
「胃液が逆流してなんとかかんとか、言ってることがよくわかりませんが」

5番、某P君は、別ルートで・・・
人の行く裏に道あり 花の山、いずれを行くも 散らぬ間に行け
こころなしか肩が落ちてるけど、上がってみりゃ 同じボギー。
7番、ラフにいれて7番ウッドが大テンプラのひっかけでダボ。
やっぱりフェアウエーに置くのが大事だな。
某君はここぞとばかりにパーであがり 次オナー。
「早く打てよ!」
「まだ前がいるじゃないですか。なんで歳とるとみんなセッカチになるんですかね」
ウルセイ、先が短いからだよ!
前半ニガテのコースを42、上出来やろ。

午後からも一進一退、それが7番で2mを入れてバーディー、
8番パー、最終9番もナイスショット。
でもゲッ ボールにドロが付いてる?と見えたのは虫か。
某君に追っ払ってもらって打った2打目がピタリ1mのバーディーで38は80!デキスギ
♪ ボヘミア~~ン 破れかけのタロット投げて~~