
(続き)
ケーブルカーの駅に貼られていた「特別公開」の文字と 駅から5分という距離にひかれ
瑠璃光院の門前に立てば 青紅葉がゆれ、俳句をやる人ならここで一句、というところ?

由来は↑を読んでもらうとして、門をくぐれば拝観料2,000円!
エラク良い値段をとるんだなと思やァ白いビニル袋を渡され、中には写経の用紙が入ってた。

茶室脇を登り、

手入れの行き届いた苔の石段を登った先に

本殿?があり、登山靴を脱いで二階にあがると

写経をするところ?
写経なんて生まれてから一度もやったことがない。

下に薄く印刷されてる文字の上をなぞるわけだが、やっぱりミミズ・・・

黒光りのする廊下の外は、リッパなお庭が広がり

一階に下りて部屋を巡っていると奥に釜風呂!
八瀬の釜風呂は昔から有名だが、ナゼこんなところにも釜風呂があるのかと聞けば
ここは昔、旅館だったとか。
じゃ、瑠璃光院というお寺との関係はどうなってるのかと聞いても良く要領を得なかったが まあいっか。

釜風呂の中にはゴザが敷いてあり、要するに蒸し風呂なんだが お寺に蒸し風呂もないもんだし・・・
と、思ったが 昔、奈良の古いお寺で民を癒すという蒸し風呂を見たような気もする。
まあ、説明書きにあったように、壬申の乱の頃 背中に当たった矢の傷を癒したことから
矢背が転じて八瀬の地名となったことは理解。

写経の奉納所。
文鎮の下に納められてた写経は伏せてあって一安心。
あんな字をあとの奴に見られてもな~。

躙り口があって、ここは茶室か。

寺を出てこの橋を渡れば叡電八瀬の駅。
この高野川のもっと上のほうに ウエサワの家があり 家のすぐ下を流れる川で釣りしたな。
山ほどオイカワ?を釣りウエサワのおふくろさんにテンプラにしてもらって食べた。
そのあとオレの下宿でマージャンをやろうと、この橋を通りかかって川をのぞいたら錦鯉が泳いでいて、
かついでいたつり竿で橋の上から鯉の目の前に糸を垂らしたけど食わなかった。

そんなことは覚えてるのに、この駅は昔のまま?
字体は右から読んで古そうだけどトント記憶がない。

駅前で、名物のシバ漬けを買い

エイデンに乗るのもチョー久しぶり。
懸案の風呂屋が開くのは3時、それまでにやっぱり円通寺だな。
雪が降ったと言っちゃあ、下宿から歩いて雪の庭を見にいってた円通寺、京都で一番お気に入りの寺・・・
一番近いと思われる次の三宅八幡駅で降り、TAXI。 1000円かからないだろ。

TAXIの運転手さんにどこに行ってきたのか?と聞かれ、
窓から見えるあの比叡山に歩いて登ってきたと指差せば、驚かれて

15年前、会社の旅行で現地解散のあとに一人で来て以来の円通寺。
靴を脱いで玄関をあがり、見覚えのある坊さんに拝観料を払いながら
随分とリッパな塀もできたし、駐車場もきれいなのができましたね、結構儲けてるんじゃない?
と冷やかせば、「なにをおっしゃいますやら」
田んぼや畑ばっかりだったその辺りに新しい住宅がどんどん建って、お寺の竹やぶだった土地も無償で
道路用に提供したんですよ。それなのに、新しく来た人達に落ち葉がひどいと文句言われて、
今、村八分にされてるようなもんです。もう拝観なんてやめようかと・・・
ははは、まあまあ、それより15年前に来たときは、近くにマンションが建つといって騒いでいたけどどうなった?
ここのお寺の一番の特徴は、垣根の向こうに見える比叡山をバックにした「借景」
それが台無しになっちゃ怒るわな。
「それはなんとか解決しましたが。」

とりあえず、写真を一枚と所望すればオレなんか写してもと制されたが
ここは、昔は写真禁止のうるさい寺だった。
時代に押され?庭の借景だけは撮ってもよいことになったらしいが、他は今でも撮影禁止の張り紙がベタベタ。

これだよ。この景色。
ほんとならゆっくりと眺めていたいところだが、今日はそうもいかず 畳に正座してる三、四人のうしろをまわって
玄関に戻り「ちょっと苔が怪しくない?」と問えば 最近陽射しがキツイので・・・雨が降りゃ元に戻ります。
そんなもんなの?まあそれにしてもやっぱりいいなァ、この庭。今日は特に比叡山がくっきり見えて・・・
オレなんかあっちで、京都に行くんなら円通寺の庭を見ろってみんなに言ってんだから と言えば
坊さんがオレの顔をじっと見て 「鼻から口にかけての彫りが深いから長生きの相ですよ」
オレがほめる前に言ってくれてたら信用したけどな。

新しいリッパな円通寺の塀をぐるりと廻り そこから15分ぐらい歩いて妙満寺。
ツツジで有名ということで初めて寄ったが、こんなところに、こんなに大きなお寺があったのか。
しかしつつじにはちと早かった。若い坊さんは、いつも満開になるのはGWのころですね~と。

本堂の石段を上がり賽銭をあげようとした前のガラス戸に、ヤヤ・・・比叡山が映ってる。

あわてて振り向けば・・・これもやっぱり借景というのか?

そうしてよい時間になり修学院駅のヨコの細い路地を遠い記憶を頼りに行けば
風呂屋の煙突が見え、あそこだよ。

上のサウナの看板の下に小さく「大黒湯」 そうしてここからも比叡山・・・
番台にいた雇われのような年増婦に 「50年ぶりに入りに来た」と言えば
独特のイントネーションで「あったんかい!」
50年前から この大黒湯があったのかというイミかい。

カラスの行水のような風呂を出て 修学院駅でエイデンを待てば えらくスマートな電車がはいってきて

中はもっとびっくり。左側の座席は真ん中辺りが外向き、右は一人掛け。
そうして、あの頃は学生と地元の人しか乗ってなかった電車に外人さんや若い観光客がいっぱい。

終点の出町柳駅も卒業以来。
プラットフォームがこんなに小さかったっけ?
よくこの駅のベンチで、30分に一本しか来ない電車を待ったものだ。

駅からすぐの賀茂大橋の上に立っても あの三角州はこんなに近かった?
若い頃の感覚というか記憶はあやふやなものだな。
右から流れてくる高野川と左からの加茂川がここで合流して賀茂川となる。鴨川だったかな?

入学式が済み、下宿に初めて行く時にこの橋の上に立てば そよ風が頬をなで
両岸には満開の桜、三角州の向こうにも桜がヒラヒラ舞っていた。
これから四年間、束縛なくまったく自由にこの京都で暮らせる と思ったあの時のシアワセな気分は、
今でも忘れることがない。
あれから50年過ぎて世の中もいろいろ変わり、一緒にあの頃を語る友もチりジリ 今頃どうしてることやら。
オレだって・・・
「あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・吹き来る風が私に云ふ」
中也の「帰郷」のサイゴの一節が頭に浮かぶ。
そういえば、橋を渡ったところの今出川河原町の角にあったパチンコ屋は?
と訪ねれば店は新しくなってたが「KING」という名前も同じに音が響いてた。
開店前に並び、開店と同時に飛び込んで数台のパチンコ台の受け皿にタバコやらライター、ハンカチなどを置き
開いてるチューリップをカタッパシから閉じていった。初めて打ち止めを経験したのもこの店だったな。
ここがあるんなら荒神口の「シャンクレール」もあるかなと名残惜しくなり 河原町を下ったがわからない。
2階でモダンジャズを聞かせる店で みんなあそこで思案に暮れていたけどな~。
そのまま予定通り四条河原町に出て「志る幸」で利休弁当。

ヤカンが置いてあるところの台の前にいつも座ってた婆さんは?
「10年前に亡くなりました」 まあそうだよな。

黒豆はついてないの?
お正月にはお出ししてますが・・・
志る幸という名前のように汁物が有名。
お椀にたけのこの味噌汁を頼んだが 山椒の香りが強く、
そういえば扇型に盛られたかやくご飯もあの頃のような感激が少なかった。
きっとオレが歳をとり、感性も感覚も昔とは違ってるんだろ。

店を出れば、夕闇が迫り帰る時間だ。
オッ、志る幸の向かいの この「築地」という喫茶店はまだ健在なんだな。こことフランソアには良く通った。

四条河原町の交差点から またバスに乗って京都駅。
新しくできた、っていつのことだか知らないが、京都駅のビルのガラスに京都タワーが写り、グッバイ・キョート。

帰りの新幹線の座席で マゴムスメにリクエストされた千代紙を広げ、
おまけに「にほひ袋」も買ってきたけど、喜ばれるかな?
