あのマーティン・スコセッシが、遠藤周作の「沈黙」を映画にした。
よく、あんな難しい原作を映画化したな~と思ってたら、TVでPRの予告編が流れて、
アレっ?
波打ち際に立てられた十字架に縛り付けられたキリスト教徒たち。
やがて潮が満ちてきて、彼等の頭の上まで波が覆いかぶさるこの場面、見覚えがあるな~。
既視感?
学生時代に読んだ本の、印象的なシーンが映像としてアタマに残ってた?
スコセッシは、初めて読んでから構想28年と言ってたけど、
オレはもう50年も前、遠藤周作が孤狸庵と称して、「ぐうたら生活入門」とかフザケタ本を書いてた頃
いきなりキンコン、純文学特別書き下ろし作品と 恥ずかしくなるような帯をつけて出版された この本を
軽い気持ちで手に取ったものの、読み終えたときには 胃の腑の底に重~いものが残った感じがした。
突然こんなマジメな本、書くなよ~って・・・
アレ以来、二度と読むことのなかったこの本、久しぶりに本棚に探したけどナイ!
どこかのエセクリスチャンに貸した覚えがなくもないけど。
もう、内容もはっきり覚えてないから、P+D MAGAZINEより引用。
イエスズ会において最高の地位にいた教父、フェレイラが布教のために訪れた日本で過酷な拷問を受け、棄教したという知らせが届いたローマ。弟子である若き宣教師、ロドリゴは真相を探ろうと日本へ赴くも、気弱な日本人、キチジローの密告によって奉行所に囚われてしまいます。
やがてロドリゴは師と再会を果たすものの、彼が夜な夜な牢で耳にするいびきのような声が拷問を受ける信者のうめき声であったこと、ロドリゴ自身が棄教しない限り彼らが許されないことを告げられ、苦悩します。自分の信仰を守るのか、神を裏切って罪の無い人々を助けるのか……ジレンマを突きつけられるロドリゴは、ある決断に至ります。
キリストの教えを誇りに思っていたロドリゴでしたが、「神は自分が苦しむ姿を見ながら、何故沈黙を続けるのか」と呼びかけても応えない神を疑い始めます。
神は本当にいるのか。もし神がいなければ、幾つも幾つも海を横切り、この小さな不毛の島に一粒の種を持ち運んできた自分の半生は滑稽だった。
そうして、すっかり忘れていたけど、日本でも1971年に篠田正浩監督で映画化されていた。
デ・ジャブーと思ったのは、その時のポスターであのシーンを見たんだな。
← 本を読み終えたときの重い気分を思や、
映画を見る気はおこらないけど・・・