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ヒ~さんに、「予選オッコチしたから、4日は よろしくお願いします」って電話すりゃ

「ああ、良かった」



ちっともよくないでしょ!

イヤ、予選通ッたら、キャンセルしようと思ってたんですよ。ご一緒できて良かった?



パコーン君にもオッコチを報告すりゃ、「二週も続けて遠いチバまで来なくて良かったじゃないですか」

どういうイヤミや!





帰りのラジオで、渥美清が亡くなって20年?もうそんなに経つか・・・

「男はつらいよ」を映画館で見たことはないけど、TVでやってるのを
 
ちょくちょく見るようになった。



マドンナを選ぶのはトラさんじゃなく、山田洋次監督の好みで選んでたらしいね~。

9作目の柴又慕情のときはファン投票で吉永小百合に決まったって・・・

マア、個人的には浅丘ルリ子のリリーさんがよかったけど、脇役陣も多士済々。




「男はつらいよ 寅次郎 夕焼け小焼け」では、宇野重吉がみすぼらしい老人役だったが、

これが実は日本画の大家。「とらや」に泊めてもらい世話になったお礼にとササッと描いてくれた紙切れを

寅さんが神保町の古本屋に持っていくと「7万円で譲ってください」



それが元で一悶着あり 旅に出た寅さんは播州龍野で画伯と再会。

ここからは寅さん映画ではなく別もの?の映画・・・



画伯の宇野重吉は、昔 ワケありだった 岡田嘉子演じる女と再会。

戦前の大スターだった彼女は 40年ぶりの映画出演だったとか。



「私、近頃よくこう思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。

ああすれば良かったなあ という後悔と、もう一つは どうしてあんなことしてしまったんだろうという後悔」

と言って、画伯が町を立ち去るのを見送るシーン・・・



後悔は、人生においてもこうなんだから、いわんやゴルフにおいてをや?

一応、岡田嘉子を知らない人のために・・・



岡田嘉子さんは戦前にソ連へ亡命し、戦中戦後の数々の苦しい体験を経て、日本へ一時帰国している時にこの映画に出演。

愛人と手を取って南樺太の国境線を越え、亡命したが、運悪くスターリンの大粛清の最中だったこともあり、愛人は銃殺、岡田さんも10年もの間厳しい収容所で強制労働を強いられた。10年間の収容所生活から解放された岡田さんはモスクワ放送のアナウンサーになって後に滝口慎太郎氏と結婚,彼の死後、1972年に滝口氏の遺骨とともに、宇野重吉さんらが出迎える中、実に34年ぶりの帰国を果たす。この「夕焼け小焼け」に出演した当時、岡田さんは一切そのことを人にもスタッフにも言わなかったためこの衝撃の事実がわかったのはその後、ソ連に戻ってからだという。


岡田さんは14年後に日本を去り、ソ連に戻り、かの地で独り寂しく永眠された。
ソ連に戻る際、友人の杉村春子さんが「日本の方が暖かいのに」となんとか止めようとしたが、岡田さんは寂しそうに笑い、「東京のあわただしい空気より、静かなモスクワの方が肌に合うんですよ。それに私を愛してくれた2人の男が眠っている国だし」と杉村さんに言ったそうだ。


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← こう聞くと、軽々しく人生をゴルフに置き換えてなんて言えないな。