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どこのチャンネルを廻してもW杯一色、
 
昔のことを思うと隔世の感があるなァ。
 
こんな雨の夜は、お兄さんの昔話でも・・・
 
 
 
 
オレが高校一年の夏前、丁度今頃のこと?
 
なにするでもなくフラフラ過ごしてたら、同じクラスでサッカー部に入ってた奴に
 
「メンバーが9人しかいないから、今 入部すればすぐにレギュラーになれるぞ」と誘われ
 
うしろのカックンと一緒に入部。
 
三年生は、春の大会が終わると受験勉強のためでてこなくなるのだった。
 
 
 
 
まあカックンはあとになって、そう呼ばれるようになったんだけどな
 
(ネンザして、カックンカックンって走ってたから)
 
 
 
今も昔も、そういう甘い誘いに乗りやすいタイプで即入部。 
 
部室に掲げられてた看板は、サッカー部じゃなくてまだ蹴球部だった。
 
 
 
少しの練習で早くも夏の県大会、相手は慶応高校。
 
試合前の整列で審判に ジャージがそろってないと試合をさせないと脅かされ
 
ヨコを見りゃ、オレたちのは先輩から受け継いだボロボロのジャージに、
 
ストッキングも2代前3代前のが入り混じってバラバラ。
 
 
 
相手は、KEIOカラーの紺と赤のストッキングにまっさらのジャージ。もうそれだけで飲まれてしまい
 
試合は押しまくられ、走りまわされ、夏の暑さでボーっとなっていたオレはスローインの時、
 
アタマの上から投げなければいけないボールを、胸の前からほうりだし、
 
審判にピピピッと笛を吹かれ、ハッ・・・
 
 
 
 
丁度そのころ体育の授業でバスケットをやっていて、もうクラクラのアタマが判断能力を失い
 
つい、バスケットのパスをしてしまったのだ。
 
あとで先輩にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
 
 
 
とにかく試合は10-0で負け、なんて弱いチームなんだと、
 
自分のことはおいといてあきれたもんだ。
 
 
 
 
無事2年生になり、やっと皮のスパイクがはけると 早速みんなでスポーツ店に行って作った。
 
が、できてきたのは、アキレス腱のところまでかかとの部分が伸びているしろもの。
 
先輩が一目見て「それラグビー用のやつだろ!」
 
スポーツ店も、ラグビーとサッカーの区別もつかない時代だったのだ。
 
 
 
足首が伸ばせないスパイクで、どうやってサッカーやるんだと言われても
 
折角作ったもの、しばらくそれでドタドタとやっていた。
 
 
 
その2年の秋が東京オリンピック。
 
どの競技のチケットも売り切れ状態だったのに、サッカーだけが不人気で大量に残り
 
上のほうから、割り当てのチケットがまわってきた。
 
 
オレはクラスメートの男女数人を引き連れて駒沢競技場まで
 
日本対ガーナ戦を見に行った。
 
 
 
 
指折りかぞえてみりゃもうほぼ半世紀前の話や。
 
そう、肝心なことを言うのを忘れた。
 
オリンピックのあと、スパイクも既製品がでてきて新しいのに買い替え
 
秋の大会で、また偶然にも相手が慶応高校に当たった。
 
 
 
俺達は新品のジャージで試合に臨み、大健闘の2対2の引き分け。
 
今のようにPK戦はなく、抽選だという。
 
 
 
審判がコインを投げ、キャプテンが裏!と言ったのが当たってどよめいたが
 
審判はチョットマテといって封筒を2通とりだした。
 
それを引く権利が当たっただけのこと、そんなシステムさえ初めてのことだった。
 
そして、引いた封筒を空けたら白紙、相手の大騒ぎが昨日のことのようだなァ。
 
 
\?\᡼\? 1
 ← ここまでサッカーが人気になるなんて、
   オレたちには先見の明があった?