
良く晴れた今朝、トーストを食べながらTVを見ていたら
京都の「葵祭」の映像が流れ、そうだよ昨日5月15日は毎年葵祭りの日だ。
あれから何年経ったんだろ?あの日も今日のような五月晴れだったな。
京都で麻雀に明け暮れてた毎日、夜通しやって窓の外が明るくなると、
♪ 夜明けのコーヒー 二人で飲もうと~
飲む相手もいないみんなで合唱して・・・
「なんか面白いことないかな~」
トイメンのウエサワが「葵祭り、出る?」
全国あちこちから集まってきてる中で、ウエサワだけは地元の京都。
麻雀の最中に「早くほかせ」と言って、みんな??
捨てろというイミの京言葉だと聞いて標準語で言え!
前から 祭りに出る人数が少なくなって、友達をつれて来いと言われてたらしいが
オレたちを連れて行って、マチガイがあっちゃいけないと黙ってたらしい。
早く言えよ~。一も二もなくみんなその気になり・・・
ウエサワは、比叡山のふもとの八瀬というところに住んでいて
そこの村人たちは、昔から京都御所の庭掃除や雑事をこなし、戦前までは租税を免除されていたとか。
それで葵祭りの行列の列方として、本列を導く役目を与えられてたという。
あとで聞いた話では、平安時代より八瀬郷に暮らしていた人々を八瀬童子と呼び
天皇の葬送の際には、棺を担ぐ役目を担い、自らを「鬼の子孫」と呼んで自治組織をつくり
隣接する比叡山延暦寺とも、深いつながりがあったという。
それで当日の朝、普段は立ち入れない御所の中庭に集まり、白装束にわらじ
アタマには烏帽子?をかぶり、烏帽子のひもの こめかみのところに葵の小枝をはさんだ。
メガネと腕時計ははずせ、お前達、行列の先頭だ。
ぇ~~、先頭二人。4人でじゃんけんしたら負けて2列目・・・昔からじゃんけんに弱い。
黒い漆塗りの箱を持たされ、中身なに? 斎王の靴?下足番かい!
ゆっくり歩け、行列が伸び縮みしないようテンポをおなじに といきなり言われ、キンチョーしながら
御所を出発して、大勢の観客が見守る都大路を歩いた。
不思議にその途中の記憶はほとんどなく、昼休憩所の下賀茂神社到着。
暑さもあってかなりヘトヘト。あたまに刺していた葵の葉もヘナッとなって 新鮮なのと交換、
磨り減ったわらじも新しいのを支給してくれたが、それは履かずにふところに入れ持ち帰った。
わらじといっても、そんじょそこらにあるのじゃなく、かかとから上に紐が伸びてるリッパなもの。
そのあとの上賀茂神社までの行程も記憶からまったく抜け落ちているが
わらじは下宿の壁につるして、来る奴にジマンしてたな。
←葵祭りと聞くと思い出すのは、わらじと瑞々しい葵の葉。
あれから47年?みんないいおっさんになってるだろうな。

それからもう一つ、
親切にしてもらった八瀬の人に誘われて行った、秋の「赦免地踊り」
あの頃は、まだ村人だけのこじんまりとしたものだったが
息を飲むような幻想的な夜祭だったなァ。