
「私の可愛い人(モンプティ)」ってフランスの本があったのです。
フランスでは既に古典にはいってる小説ですが、ハンガリーのバッサリという作家が書いてたのです。
この話に「さくらんぼの実る頃」というシャンソンが出てきます。
この話に「さくらんぼの実る頃」というシャンソンが出てきます。
バッサリはおそらくこのシャンソンを聴いてるうちに このストーリーがひらめいたのだと思います。
パリで絵を学ぶハンガリーの青年が アンクレールという可愛いパリジェンヌと恋におちる。
日曜日、アンクレールは「さくらんぼの実る頃」というシャンソンのレコードを大事そうに抱えてやって来た。
日曜日、アンクレールは「さくらんぼの実る頃」というシャンソンのレコードを大事そうに抱えてやって来た。
恋人にこの曲を聴かせたくて来たのである。
ガスストーブつけてココアを飲んでお喋りして帰る。何故かヌードにならない。それは昔の人達だから。
彼はアンクレールを疑い始めた。
彼女が住んでるはずの住所を訪ねてもそれらしい家がない。
彼女が勤めてるオフィスを訪ねてもそんな人はいませんという。そういえば右手に指輪をはめてたことがあった。
自分と逢った時、あわててはずした。
アンクレールは嘘つきだ。アンクレールって誰だろう。問い詰めたら泣く泣く喋りだした。
「私は天涯孤独の身でパリの場末に住み舞踏会のドレスを縫っています」
「私は天涯孤独の身でパリの場末に住み舞踏会のドレスを縫っています」
道理でいつも素敵なドレスを着てたわけだ。
「指輪をはめてたのはね、私職場で同僚に貴方と婚約したって嘘ついちゃったの。
不信感もたれたくなくて自分で指輪買ってはめてたの」
一方彼はハンガリーに帰れば大邸宅があって素封家だった。
アンクレールは恋人を失いたくない一心でこんな小細工してたのである。
アンクレールが孤児だからといって切り捨てるようなバンサンじゃなかった。
結婚することになっていよいよ荷物を運ぶという朝 病院から電話がかかってきた。
「奥さんが事故に遭って重体です」
病院にかけつけたらアンクレールは虫の息だった。
「モンプティ、ごめんね。馬鹿な自動車がぶつかってきたのよ。モンプティ、驚いた?
夫を呼んで下さいって言ってしまったの。私貴方の奥さんになりたかったものだから。
顔が青いのはね 出血してるためなのよ。だけど明日になれば出血も止まって モンプティと 一緒になれる」
これがアンクレールの最後だった。
「さくらんぼ摘み取れば血の色の耳飾りゆらりゆれて。
人を好きになることは神様も止められぬ。 さくらんぼ実る頃 鳥さえも恋をする」
桜桃の実る頃という歌は1871年パリコミューンの闘士が
桜桃の籠を持ってたルイーズという16歳の女性に捧げた詩だという。
パリ・コンミューンは戦士・市民3万人の虐殺により終わった。ルイーズも銃殺された。
作詞者ジャン・バティスト・クレマン はイギリスに逃げ銃殺をまぬがれた。10年後フランスに戻ってみると、
ルイーズに送った詩がパリコミューンの歌になっててフランス中で歌われてたという。
桜桃の実る頃は単なる恋の歌ではない。
裏の意味があって、さくらんぼの実る頃散っていった人を意味する。赤い流血と夭折の人と。
それはルイーズでありアンクレールなのだった。 @yahoo知恵袋より丸々コピペ
五月になり、急にさくらんぼが色づき 鳥達も色めきだって
ここ二、三日が勝負だな、鳥と早いモン勝ちだと鵜の目鷹の目でいたら
「よしなさいよ、鳥インフルエンザがうつるよ!」
映画と違って、色気もなんにもない一言で意気消沈、
うらめしげにさくらんぼの木を見つめれば
うわ~、また来てやがる・・・